ニート考察・回想録11「ニートに説教なんて無駄」

ニート考察・回想録10「ニートしておいてよかったこと」 より。

今でこそ、そこそこ前向きに人生やってますが、昔は相当なネガティブでした。劣等感もひどかった。

一番酷かった時期っていうとあれですが、1年ぐらい前の時期ですかね。ニート期間4年目ぐらい。
酷いときどんなだったかって一度書いておこうかなと思います。


まあね、とにかく、人と会いたくないですね。なんかニート度というか、このままではダメだぞ的な指標があるとしたら、これが一番基準になるんじゃないかと思います。

なんでか。

答えは簡単。惨めだから。あと、嫌われたくないからです。

だって、会うたびに仕事どうしてんのって聞かれるの嫌じゃないですか。
俺は聞かれるのが物凄く苦痛でした。
仕事いつつくんだとか。

これがね、前の仕事やめて1ヶ月や3ヶ月ならまあ「そのうちつくよ」とか「今探してる」でも相手は信用してくれますよ。
でもね、1年や2年もたつと、説得力なんて0じゃないですか。嘘というか、白々しいわけです。大体ね、自分でも就職できる気あんましてませんしそこまでくると。だから宣言したくないんですよ正直。そんな状況で、こんな台詞いいたくないんですよ。嘘になるし。次会うとき落胆してるんじゃないかとか怖くなるし。明日から頑張るよといって覚醒できてたら苦労してないわけです。

かといって、頑張りたくないって思ってるのかというと、それも違うんですよ。本心では、頑張りたいんですよ。正直就職したいわけです。だから「就職する気がおきない」とかも言いたくないんです。それも事実とは異なるから。完全に諦めるのも嫌だし。

つまり「就職に向けての活動を行っていないけど、就職したくてたまらない」という状況なわけです。普通の人からみたらわけわかんねえんだろなこの心理。
俺としてもわかってもらえるとは思ってなかったので、説明したことはありません。

ま、どっちに答えても嫌なんですよね。だから、質問自体されたくないわけです。俺の友人にも一人、ニート的なヤツがいますが、その質問を誰かが振ると完全無言になります。気持ちはよ~く分かる。「仕事どうすんの?」って、今月就職するよといっても嘘になり、する気ないよといっても嘘になる。そしてどっちの答えも相手を失望させる。失望させる自分が嫌になる。質問されたくない。会うと質問される。会いたくない。こうなるわけです。


まあこれは軽いヤツですけど、もっときついのだと「お前このままだとダメだぞ、分かってるのか」と詰問されます。質問じゃない、詰問。主に親族とか。この後の展開なんて分かりきってますよね。「分かってる→嘘つけ。分かってたら行動してるはずだ」「分かってない→ふざけるな!」まあこの2択です。理不尽です。しかも反論できない。辛い。

正論って人を傷つけるよね。逃げ道がないだけに。俺はそうはなるまいと誓ったあの夏の日。


……まあそれはどうでもいいとして、
これへの対処は本当に辛い。これ、やってる人いたらマジで辞めて欲しいと思います。こんなもん、実際はエネルギーをガンガン奪ってくだけですよ。何の+にもならない。これやられると、もう数日は顔も声も聞きたくないし、テンションはだだ下がりです。

大体さ、その「分かってないだろ?」みたいなのが無駄なのです。
大体ニート当人は「分かってます」。むしろ俺から言わせて貰うと「分かりすぎててヤバイ」ぐらいです。もっと楽観的でいい。


あのね、当人たちは、そういうことなんて、1日100回は自問自答してるわけですよ。というか、頭からそれが離れる時が一瞬たりともないぐらいですよ。それをね「分かってないお前に諭してやろう」みたいに言われても、今更すぎてなんの感銘も呼び起こさないです。


分かってるんですよ!分かってるけど出来ないんですよ。出来ないけどわかってるんですよ。そこにさらにね、「分かってる=何故やらねえ。分かってねえ」とか「分かってないよ=ふざけるな」の2択とかをかぶせられると本当、死ぬほど疲れるわけです。どっちも不正解とかなんだよ。もうね、質問自体されたくない=会いたくない、となるわけです。


大半の俺みたいな休んでたヤツにね、危機感煽るような説教は無理無駄無意味の三重奏だと思います。危機感なんて、足りないと他所からみてる人は思うんでしょうけど、俺個人の経験から言えば、むしろ危機感ありすぎるのが原因です。本当はなんとかなるのに、危機感を膨れさせすぎてるせいで、もうだめだと気力が萎えてしまってる。正直、そういうこという周りにも原因あると思いますよガチで。


じゃあどういえばいいのってのは、次回に語って見たいと思います。

ニート考察・回想録12「じゃあニートになんていえばいいの」


↓危機感ありまくりな人はクリックお願いします
にほんブログ村 その他日記ブログ ニート日記へ


あと、追記。
こういう時ね、言われてる側の対処としては、右から左へ聞き流すことをオススメします。質問自体はどっち答えても無理なんで適当で。ただ、こういうこと言う人は、それなりに貴方を気にかけてます。しかし、同時に鳥頭です。貴方が就職した瞬間、全ての手のひらを返すでしょう。だから言われてることは、分かれた2秒後に全部忘れるのがいいんじゃないかなって思います。真剣に受けてもエネルギーなくなるだけなんでね。

“ニート考察・回想録11「ニートに説教なんて無駄」” の続きを読む

ニート考察・回想録10「ニートしておいてよかったこと」

にほんブログ村 その他日記ブログ ニート日記へ人気ブログランキングへ  
↑先におしていただけると幸いです。

ニート考察・回想録9「ニート時代から抜ける、一番の核」 の続きです

コメからの質問で、確かに気になってる人多いかもな、と思ったので書いて見ます。

Q1.やっておいてよかったことってなんですか?
Q2.やっておけばよかったと思ってること、ありますか?


この質問に答える前に、俺の経歴をおさらいしますと、
専門学校で劣等感にさいなまれる→そのまま就職できず学校卒業する→2年ニートする→9ヶ月コールセンターでバイト→3年ニートする→就職する、です。

◆やっておいてよかったこと
ぶっちゃけていうと、無いです。だって、何もしてねえんだもの!ニートしてた期間、いわゆる自分磨きみたいなことは一切してませんでした。ていうか、できなかった。このころの生活って

12時まで:寝てる
13時:起きる。仕事探さなくちゃ、なんかしなくちゃなーって思いながら、とりあえず食事。
15時:ハロワいかなきゃな、とか思いながらネット巡回。
16~17時ごろ:あ、あとちょっとでハロワしまっちゃう。そろそろいかないと、と思いながらもネット巡回したり本読んだり動画みたり。
18時ごろ:タイムアップ。間に合わないじゃん。明日だな、明日こそ・・・とか思いながら気持ちを切り替える。なんとなくPCとか本とかゲームとか。
20時ごろ:やっぱり動画みてたりとか。明日仕事さがさなきゃなーって思ってる。
22時ごろ:食事。あと友達が帰ってくるので、ネトゲとかでだべる
26時ごろ:友人もネトゲおちて、俺も落ちる。でもやっぱりネットでだらだら。眠くないので寝ない。
午前4時ごろ:ようやく眠くなってくる。明日は朝早くおきて、ハロワや就活しようと思う
昼ごろ:結局このころに起きる。自分が嫌になる。ちょっと時間潰してもう夕方でタイムアップ。明日こそ(ry


毎日こんなんでした。毎日、明日やろうと思って、気づいたら2年、3年たってた
ぶっちゃけ、焦りだけあって、他なんもしてない。

だから
Q「やっておいて良かったこととは?」の答えとしてはこうです。
A「何もしてないので何もありません

えー・・・絶望させてすいません。ただ、ニートから抜けた今、何かをしたわけじゃないけど「ニート経験が生きてるのかな」って思うことは、たくさんあります。抜けた今感じるってことで、居る最中に感じるのは、ちょっと難しいかなって思うけど。

例をあげれば
◆ちょっとしたことに幸せを感じる
親とかね。友人とかね。やっぱり親のスネかじってたわけだし。そんでね、見捨ててくれないでいた友人にも感謝です。拾ってくれた企業にもね。こういう、当たり前のことに感謝や幸せを感じるようになると思います。
◆他人のダメなところに悪口を言えない
言わない、じゃなくて言えない、のがミソですねw まあ他人からみたら一緒ですw 例えばね、他人に嫌なとことかあるじゃないですか。それを非難したくなっても、その人も、たまたまダメな時期かもしれないわけです。自分がそうだったように。自分のことを思えば、他人にそうそう言えませんよね。誰にだってダメな時期はあるんだから。俺たちだって、今たまたまそうだからって、この期間だけをみて全部判断してほしくないはずです。そういうのを、スッと考えれるようになると思います。
◆付き合う人を、社会的地位・年齢で選ばなくなる
これいいことなのかなw 営業的には多少は肩書きも気にしたほうがいいと思うんですけどw
でも俺はそうなってますね。肩書きが偉いから付き合う、偉くないから付き合わないっていってたら、ニートだったころの俺はどうなります?友達全員いなくなってますよ。社会的地位を俺に自慢する貴方、貴方も離れていくんですか?肩書きが正社員でも社長でもニートでも俺は俺です。会いたいから会うっていう本質で人を選ぶようになってると思います。
年齢も気にしないです。だって気にしてたら、ニートから一歩たりとも動けませんよ。周りの27歳は・・・とか5年ニートしながら考えてたら、絶望しかない。そんなどうでもいい考えは捨てて、自分は気にしない、そうなっていきます。だから、相手の年も気にしません。そういう、人の中身を見るようになって言ってると思いますね。
◆仕事が楽しい。休みだけを待ち望まない
こういうのありますね。毎日が日曜日ってのが、別に楽しいわけではないと知ってますからね・・・。休みは休みでありがたいですし、3連休とかひゃっほう!ですけど、それだけを望むわけではないです。
◆中々やる気が下がらない
はっきりいって、仕事のエネルギーなんて、ニート時の履歴書とか書くエネルギー、面接に行くエネルギー、そして落ち続ける疲労に比べたらどってことはないです。就活に長くかかってる貴方。大丈夫です。ここを笑顔で乗り越えたとき、貴方にはかなりの耐久力がついてます。周りは、そんなとこで凹んでたら、ニートからの就職とかお前ら耐えれないだろって思うようなことでやる気失くす人もいます。
そう、これ結構声大にしていいたいんですけど、ニートバカにしてるやつの大半は、実際自分がニートになったら立ち直る気力すらわかないと思います。そこから立ち直ろうとしてる貴方は、実際はかなりの気力の持ち主です。仕事甘くみるんじゃねえって世間いいますけど、ぶっちゃけ仕事のが楽です。ニートと正社員の差なんて、大抵運と知識の差ですよ。人間性能の差じゃない。


他にもあるけど、割愛。ニートそのものというより、ニート期間を元に、ニートを抜ける課程で得たものって感じですね。これが1ヶ月以内のニート期間だったら、何も得られていないでしょう。

今はまだ抜けたばっかりなんで、こんなもんですけど、これから先、もっともっと実感するのかなって思います。今のニートの方も、決して卑下したりしないで下さい。俺は5年前に戻りたいかといわれたら、NOと答えます。就職したからじゃないですよ?就職前から、そう思えるように、なってました。徐々にですけどねw
最初から仕事してたら、俺はどうなってたんだろ?って思います。ニートの人を、見下すようになってたのかなとか。何を信じて働いてるんだろうと。少なくとも、他人と比較しながら、生きてるんだろうなあって、ちょっと思います。でも、結局今が重要ですしね。過去は余りもう、気になりません。


◆やっておけばよかったこと
ですので、これも余り思いません。ニート時代に対する後悔は、俺はほとんどありません。昔の俺は、あれが精一杯だったし、やっておけばよかったことがあったとしても、それはニート考察・回想録7「劣等感の克服・vs過去」 でも話したように、結局あのときの俺には出来ないことです。やれたことはあの状態でもやれてたし、やれなかったことはやるべきことだったとしても、やれないことだったでしょう。

とはいえ、

◆やってよかったこと
なら少しは語れるかな?友達とか親を大切にしてよかった、ってのは思いますね。5年のうち、最後の半年ぐらいは、「ゴメン」という代わりにできるだけ「ありがとう」っていうようにしてました。それぐらいかな。後は、幸せ目指して、ニート脱出を目指すうちに、自然についてくるんじゃないかなって思います。


ま、「ニート時代もそう無駄じゃないよ」ってことで・・・。沈んだ期間が長いほど、小さいことに幸せ感じるものです。それも一つのメリットじゃないでしょうか。


ニート考察・回想録11「ニートに説教なんて無駄だよ」
に続く。

“ニート考察・回想録10「ニートしておいてよかったこと」” の続きを読む

ニート考察・回想録9「ニート時代から抜ける、一番の核」

にほんブログ村 その他日記ブログ ニート日記へ
↑とりあえず、やる気のスイッチ的なもののクリックお願いします。

ニート考察・回想録8「人って本当に変われるの?」 の続きです。


まあ・・・過去記事で、劣等感だのなんだのって話てきましたけど、中々それでも、自己否定からの脱却って難しいと思います。 俺がそうでしたし。

何事も、言うのは楽。しかし言ってできるなら苦労はしない。 あれやれこれやれといわれても、そりゃ全部できれば治るだろうけど、それができりゃ苦労しない。

もっと楽にというか、いくつもじゃなくて「これだ!」っていうのはないのかと。
数ある中で「これが一番重要!」っていうのをさせといわれたらどうするのか。
そういわれれば「あります」。
どうしてもこれだけはしてほしいっていうのが。


それはズバリ「褒めること」です。

特に、自分です。まず、何をおいても自分を褒めて欲しい。自分を大切にして欲しいと思います。どれよりも自分を優先して欲しいです。自らを自らの腕で傷つけないで欲しいですね。持論ですけど、自分を大切にしない人は、他人を大切にすることもまたないと思ってます。

まあ多少具体的な話すると「俺の体って健康でありがたいなあ」とか「安い食事でも美味しく感じられて凄いなあ」とかそういう感じです。「ニート5年してたけど、こっから就職しようと思えるなんて凄い」とか「今まで全然しようとしなかったのに、ハロワいっただけでも凄い」とかです。そこまでいくと「俺に感謝できるようになった俺凄い」とかでもOKです。

いや、むしろ理由なんて別にいりません。「俺は凄いよ」とだけ口にだしても全然OKです。ここで大事なのが「口に出すこと」です。ガンガン口に出してください。そうすると、人の脳って不思議なもので、つじつまが合わないのは嫌いですから、無意識に「……何故って就職頑張ろうとしてるから」とか適当に言い訳を作り出します。

そして、大事じゃないこととして「心で思わなくても良い」ってのがあります。そう、上のように、どうせ口にだせば勝手につじつまあわすんですから、思って無くても言っていいです。自分はダメ人間だと思っててもいい。ただ口では「俺は頑張り屋なんだ」とか「立派な人間だよ」って声にだして褒めまくってください。人に聞こえても聞こえて無くてもどっちでもいいです。いつでもどこでも唐突にいっていいです。



なんか余りにも直接的なアドバイスでがっかりしましたか?
でも俺はこういうのの繰り返しで、自己肯定感って奴を持てた気がします。
そういうのをやってみて、少しなれてきたら、今度は自分以外も一緒に褒めてみてください。

例えば親とかね。こう、産んでくれただけでありがたいじゃないですか。友達はどうですか。ニート時代でも連絡してくれてありがたいです。もしくは連絡に答えてくれてありがたいです。邪険に扱われたら、それにより普通の態度で接してくれる友達のありがたみがより分かります。全員居なかったら、次できる友達に深く感謝できるでしょう。すんでる家、地域、空気、天気、食事、ゲーム、趣味、なんでもあるだけでありがたいです。そこに身をおける幸せやありがたさ、そういう周りに感謝して、それを声にだすといいです。人相手なら、いっそ感謝してると伝えて全然OKでしょう。変なこといって・・・とかは気にしなくていいです。自分は好かれるタイプだ、と根拠無く思っておきましょう。どうせ自分は嫌われるタイプだ、とかもたいした根拠ないですから、気分いいほうに考えたほうがいいです。特に友人相手は。



ちっとね、胡散臭さを感じるかもしれません。ありがとう教なんてカルト教もあったしね。もちろんそれじゃないですよw ただ、ニートを出る一番のきっかけになった要因とかあったとしたら、それでどれか一つっていったら、俺はこれを推します。

褒めることー特に自分自身を褒めること。他の何を褒めるよりも優先してください。なんでもいいです。浮かばないなら感謝でいいです。俺の体、今生きててありがとうでもいいので。自信過剰になって嫌な奴にならないかとか、弊害でないかとかもいらないです。むしろ大抵の人は、必要以上に自虐過剰に生きてきてるので、自信過剰で丁度いいぐらいです。そもそも自信過剰で悪いことなんてほとんどありません。どうせ自信過剰でもなくてもできないもんはできないし、だったら自信過剰で次々といけるほうがいいです。

みなさんが、今このblogでこういう記事読んでるってことは、多少なりとも前をみたいという気持ちがあると思います。俺よりもきつい環境の人もいるでしょう。俺より軽かったとしても、俺より悩んでる人もいると思います。そういう状況から、前をみようとするその精神自体、俺は気高いものだと思います。もし、どうしても自分で自分を肯定できないなら、俺が皆さんを肯定します。絶対に立派です。俺は昔、こういうblogすら回る精神力もありませんでした。皆さんは絶対に凄い人です。


ま、ちょっとクドくなりましたけど、一つだけあげるならこの「褒めること」だと思います。感謝、と言い換えてもいいかな。特に自分に対してね。


ただ、これを習慣づけても、一朝一夕にいきなり変わったりとか効果が回りにでたりとかそういうのは無いと思います。やっぱり、長年かけて気づいた自己否定の根は深いので。自分の場合も、年ぐらいかかったと思います。でも、必ずいつか芽がでます。ちょっとずつ、ちょっとずつ前を見るようになって区と思います。


嫌なこともあります。別に心ではどう思おうと自由です。でも口では、褒めてみてください。自分に大して凄く落ち込んでも、口では褒めてみてください。俺は、それが大事なことだと思います。


ニート時代に必要なことを、1つに絞って見ました。

ニート考察・回想録10「典型的ニート生活の成果」 に続きます。ニート生活で、やっててよかったこと。生きてることがあります。


↓こっちも行ければおねがいします
人気ブログランキングへ  

“ニート考察・回想録9「ニート時代から抜ける、一番の核」” の続きを読む

ニート考察・回想録8「人って本当に変われるの?」

ニート考察・回想録7「劣等感の克服・vs過去」 より

続きです。

劣等感ぶったおして、人生変えようぜ!みたいな話しましたけど。

それ、俺にできるの?変われるの俺?
って思う方いるんじゃないでしょうか。

いや、そうじゃなくても、タイトルみたいな疑問は我々が必ず抱く疑問じゃないでしょうか?

辛く苦しい道のり。
ぶっちゃけ自分はダメ人間。隣には爽やかで幸せそうな人たちが。
自分もああなりたいなぁ・・・、でも、本当にああなれるのかなぁ・・・?

この質問、結構興味あるんじゃないでしょうか?


まあ、これは是非答えたいとこですね。

俺は5年ニートしてました。学生時代なんて日陰もので、不登校が実は1年あったし(ちなみに中学です)、
休み時間はとりあえず机につっぷして寝る、みたいな。
まー苛められたりとかはなかったけど、人が寄ってくるタイプではどう考えてもなかったし、
正直劣等感にさいなまれてたし、ガンネガティブでしたよ。

その上、臭いものに蓋といわんばかりの逃走癖。嫌なことからはガン逃げ。
嫌な報告がありそうだと思うと、報告自体を聞きにいかなくなるほどのチキン。
聞くか聞かないかなんて、結果に影響しないのにね。
結果を聞きたくないので、あらゆる報告を全部先送り。
もーダメ人間ですよね。

それが今は、結構なポジティブマンで、正社員を10ヶ月以上諦めずに就活して70社おちても頑張って
内定ゲットする勢いですよ。

で、そんな俺の持論ですけど


変われません


まーほとんど絶対と言い切ってもいいぐらい?
俺は変わらないと思ってます。少なくとも化けたりなんかしません。
時間かければ変われるとか努力すれば変われるとか、
戯言だと思ってます。


じゃあこう、ダメ人間的に辛く苦しんでる人は、ずっとそのままなのか?
もう、そこから抜け出すことはできないのか?

っていうと、それは「変われます


お前は何をいっているんだ」となる前に説明したいと思います。


いや、つまり変われるけど変われないんですよ。
いやなんつーかね?
例えば自分ですよ。

客観的には変わったと思いますよ。あんだけ逃避気味だった子が、70社の没に負けず
就職とかね、ましてや営業とかね。

それに、休み時間で寝てたようなのが営業とかね。女の作り方どころか出会い方もしらんよーなのがね。
それが今や毎日笑顔で応対とか、電話かけまくりとか、飲みニケーションとかですよ。
まあコミュニケーション能力とか、もう一昔前と比べてすら超あがってるんじゃないかな(元が超低いからw)。
あんなに2年以上も先延ばしにしてたblog運営をガンガン更新とかね。
自堕落な生活だったのに、きっぱり自活とかね。



でも、それでも「根本では一切変わってない」気がしますね。


なんだかんだいって、俺はチキンですよ。
逃げ癖なんて全然治ってません。
嫌な奴からなんてガン逃げですよ。喧嘩するのすら面倒です。
慎重派だし、考えてから行動です。考える前に行動とかできません。
マニュアルとかは昔昔から作るの好きでしたよ。今作るの好きになったわけじゃありません。
70社落ちても諦めないとか、俺は正直、自分の幸せ自体を諦めたことはないですよ。無理じゃないかって思ったことはあったけど、いつだって幸せになりたかったです本音の本音は。本音ですら幸せを願わなかったことなんて一度もない。
笑顔かって、今までは「重要だと昔は知らなかった」だけで「やろうとして無理だった」のとは違います。
今は効力を知ってるからガンガンできるけど、昔は効力を知らなかったからやらなかった。
ついでにいうと、孤独時代に笑顔でも「だから?」だけど
今は収入に直結します(正確にはニート時代でも大事ですけどね)。
性格が違うんでなくて、単に知識の差です。
営業とかも、ぶっちゃけ俺は昔から人に教えるの好きだったし、ウンチク語るおしゃべり好きでした。人の話聞くのも頼られるのも。さらに「知識」として人の話聞くほうがいいよって知ってからは、余計聞くようになりました。
真面目になったとか、真人間になったとかは一番アホらしい。俺は自分でいうのもなんですが、ずっと糞真面目でした。
むしろ糞真面目すぎて、自分の問題を真剣に受け止めすぎてニート化したともいえます。
危機感がないのが、でたとかも余計なお世話です。むしろ危機感が高すぎて自分に絶望して行動しなかっただけです。
ゆえに、ニートが責任感ないとか、やる気ないとか、そういう呼ばわれ方するのって
本当にうんざりするんですけど、まあ話それるのでやめましょう。
学ぶのかってそうです。俺は、割と上昇志向はありました。ただ上にいく「方法」について無知すぎただけです。
ロマンチストっぽいとこもずっと変わってないしね。


ぶっちゃけ、前の俺と今の俺で違うのは「知識」と「経験(これも知識みたいなもんですがね)」だけと言い切ってもいいぐらいです。昔は単に、世間を、自分を知らなかった。今は多少知ってる。自分が生きる方法、場所、そういう「知識」が前より増えてるってだけです。


本当にそう思います。能力なんて、元からありました
今思い返せば・・・ですけどね。


昔、どうしても「我慢ならなかったこと」とかは今でも我慢なりません。
例えばアドリブを強制され続けるとか。
昔、どうしても「せずにはいられないこと」とかは、今でもせずにはいられません。
マニュアルいじりとか。

俺、そういうのが個性であり、重視すべきものだと思うんですよね。努力で人は何者にもなれるなんて嘘ですよ。なれないのは努力が足りないんじゃなくて、やり方間違えてるか、そもそも無理かです。イチローはダウンタウンの松本にはなれないし、松本はイチローにはなれないんです。つか普通のサラリーマン(事務職)すら無理かもよ?クレーム受付係とかできるのかな?
でも、それをいって彼らを無能扱いする人なんて絶対いませんよね。イチローが裸踊りしたり漫才したりとかできなくても、誰も責めはしないです。当たり前です。向く向かないありますから。
でも、じゃあ、彼らができないのはOKなのに、俺らができないのはダメなの?

それはおかしくないですか。
人はそれぞれ違うんだよ、と。
僕らだって、もしかすると、イチローが漫才界にいるみたいな状態かもしれないじゃないですか。


なんにでもなんてなれません。人は向き不向きがあるんです。
逃げでいってるわけではなく、本当にあるからいうんです。


人の成功する、しないなんて
昔の俺と、今の俺の違いなんて

ほんのわずかな違いだと思います。

俺は昔から俺でしたし、今も昔とそう変わってると思いません。他人からそう見えたとしても、それはちょっぴり「知識」や「経験」とかが増えただけなんですよ。なんか人の性格とかが100のパーツでできてたとしたら、多分昔と今の俺とで90ぐらいは共通したまんまですよ。無理をいっても85ぐらいかな・・・。



変わるっていうのは、ほんのちょっとのことだと思います。根本からガラッと人が変わることは、ないと思います。ただ、幸せのあり方ってのはそのほんのちょっとで、ガラッと変わるかなと。そう思いますね。

まあ何がいいたいかっていうと「自分を変えることに無理しないでね」ってことなんですけどね。
変わらない自分に絶望したりしないでね」と。それが普通なんだから。


人は変わらないけど、その人のいる状況は変えられる

変わらないままで、幸せになったり不幸になったりできるんじゃないかなってそう思います。


思いますってしかいえないのがあれですけどね!
本当は、変わらないままで幸せになれる!って絶対の確信をもって断言したい。
でも今は道の途中なんです。俺自身は、前よりも断然自分一人だけで幸せを実感できるようになったけど、それを他人に伝えるってなると、難しい。「実績」ってやつを示さないとね。今はまだ半端ですね。まあ、そういうのをしたくてこのblogやってるんですが。


でも、ニートから正社員で、多少ポジティブ!ぐらいなら、変わらないまま変われます!
断言します



ま、次回はそのちょっぴりの部分て具体的になんなんだよってのを書いてこーかと思います。


ニート考察・回想録9「ニート時代から抜ける、一番の核」 次回




↓ニート村を応援しています。
にほんブログ村 その他日記ブログ ニート日記へ
人気ブログランキングへ  

“ニート考察・回想録8「人って本当に変われるの?」” の続きを読む

ニート考察・回想録7「劣等感の克服・vs過去」

ニート考察・回想録6「劣等感の克服2」の続きです

他人と比べる人に、最後に勝てばいいじゃない。
自分と比べる人に、完璧もとめるの辞めようじゃない、って話しました。

で、それでも考える貴方・・・そう「たら、れば」なパターンの劣等感にさいなまれてる人への考え方です。なんというんですかね・・・完璧主義の一種なんですが、前回の「なんで俺ってできないのかなあ」っていう完璧目指すけど出来ないっていう未来への挫折パターン・・・


じゃなくて



あのときああしてたら良かったのに・・・・
こうできればもっと違ったんじゃないか・・・
あれが起こってれば・・・・」もしくは
あれさえなければ・・・
という、過去への完璧主義なパターンです。


いわゆる「タラレバ」。やっぱりね、まあこういう思い抱いてしまうのは仕方無いと思うんですよ。多少は。人間反省も必要だしね。
でも、こういうのってキリがないじゃないですか。一旦反省しだすと、あのときああしてれば、いやそもそもその前にこうしてれば、いやいや、さらに前のあれがそもそもの原因、いあいやいあ・・・・と、生まれたときまでさかのぼって、生まれたこと自体が間違いだったという身も蓋もない結論にいってしまいます。
そんな結論がでたら「もう自殺しかない」みたいになってしまいます。そもそも反省って次に生かすためにするのに、自殺という次も糞もない結論はいかがなものかと。本末転倒ではないですか。


やっぱり、なんか違うと思うんです。そういう結論は。
そういう風に、どんどん考えるのも、違うと思うんです。


とはいえ、やっぱり俺のようなニートの場合、大体過去に痛烈な傷を負った経験があって、しかもそれが何回もあったりして、その記憶がフラッシュバックのようにきたりします。そしたら、どうしたって「あのときああしてれば・・・・」とか考えてしまいますよね。
忘れろといって、忘れれるもんでもないし。


そういうときに、俺は意識的に言う言葉があります。
今がベストだ」と。


確かに過去に戻ってやり直したいと、感じることはあります。今の知識をもって帰ったら、違ったんじゃないかと。
でも、無理なんです。「その時その時は、自分でそれがベストだと思って選択肢を選んできた」はずなんです。他の、客観的に見て、選ぶべきベストな選択肢があったとしても、それは、自分では結局選べない、選べなかった選択肢なんです。
例えば、中学に戻って女の子にも声かけて男にも溶け込んで積極的にコミュとるぞと、今思ってたとしても、そんときはそんな選択肢は無理だったんです。なかったんです。夢です。幻です。
選んだのか、選ばざるを得なかったのか、どっちかは分かりませんが、それが結局ベストだったんです。ベストを積み重ねてきたんです。それ以上の選択肢は無かったし、単なる幻です。選択肢はあってもそこにカーソルは動かせない仕様になってたんです。結局無意味な選択肢。だから、何回人生をやり直そうが、今がベストなんです。選べる中で、常に最上のものを選んできたんです。



もう一つの意味もあります。それは「他の選択肢なら成功した、なんて誰にも分からない」ってことです。その場、一瞬だけは良かったかもしれませんよ?しかしその選択肢を選んだせいで、別の因縁が発生して、結果的にさらに大損してたかもしれないんです。
いや、あえて言い切るならば、してたよきっと
もしかすると、道一本間違えただけで、命も落として今頃死んでたかもしれないんです。就職できなくても、就職した道があったとしたら、その道で仕事がらみで死んでたかもしれません。大怪我したかもしれません。恋人できても殺されたりとかになったりしたかもしれません。
酸っぱいブドウといえばそうかもしれません。でも、本当にそうかもしれないじゃあないですか。


本当にそうだ、って思ったほうが、楽じゃないでしょうか?


どんだけパラレルワールドが無数にあったとしても、貴方の歩んでる今の世界がベストなんです。そう信じましょう。他の選択肢を選んだ貴方はもっと酷い目にあってます。死んでたりとか。多分w

今が、今この環境が、今この人生が、あなたの、俺のベストなんです。あらゆる無数の生き方のパターンの中で、これ以上の人生は無かったんです。その人生を今歩んでるんです。これ以上はないんだから、他人と比べてもいい意味で諦めがつくってもんです。ベストにベストを重ねて、ベストな人生を歩んでるんです。


だから「たら、れば」言うのやめましょう。たまにはいっちゃっていいけど、いつも言うのはやめましょう。たらもればもありません。たら、ればしてたら今よりもっと悲惨になってました。今の人生が、ベストです。唯一の正解を選び続けてきたんです。



少し物足りないものもあるかもしれません。でも、それは「これから」手に入れていけばいいじゃないですか。今手に入ってないってことは、どんなタラレバしてても今手に入ってないんですよ、結局。そんで「これから先に」絶対手に入りますよ。望んでいけば。何故なら貴方の歩んでるのはベストな人生だから。


ちとオカルトちっくだけど、俺はこう思ってます。信じて楽しいものだけ信じてればいいんじゃないかなって思います。

今の人生がベスト!



次へ続く。ニート考察・回想録8「人って本当に変われるの?」



↓ブログ村を応援しています
人気ブログランキングへ  にほんブログ村 その他日記ブログ ニート日記へ

“ニート考察・回想録7「劣等感の克服・vs過去」” の続きを読む

ニート考察・回想録6「劣等感の克服・vs完璧主義」

ニート考察・回想録5「劣等感の克服・vs他人」の続きです。

劣等感を克服するにはどーするかってので、人と比べないこと、でも前回は他人とどうしても比べてしまうって人向けの話しました。
まあ、人と比べて劣等感ってのは、確かによくあるパターンなんですが、もうひとつ劣等感抱くパターンあります。

前でも触れたけど、自分と比べるパターンですね。「理想の」自分と。なんつーんすかね、本当に限界までやって、んでミスらしいミスもなくて、ダメだったときって案外、人より劣ってても劣等感って感じないもんだと思うんです。やるだけやったさみたいな感じで。充実感もそれなりにあるというか。

問題は、やるだけやったという感覚すらないとき。あと、ミスりまくったりしたとき。
こういうときは自分に対して劣等感がでます。俺ってなんてダメ人間なんだろーかと・・・。

これを防ぐにはどうするかですが・・・・。

こうなる人間には共通点があります。「完璧主義者」じゃないかなーと思います。

完璧主義者ってのは完璧が先にあって、査定をマイナスでおこないます。そうするとどうなるかっていうと、粗探しから始まる。ダメだったところから探す。そうすっと、人間完璧なんて無理なんでいくらでも見つかる。んで、テンション下がる。やる気なくなる。やる気なくなるんで次は余計にダメになる。またやる気なくなる。で(以下省略

まあこんな感じ。

あと、粗探しをするのが癖になると、自分のミスだけじゃなく、人のことも、他所の物事もなんでも粗探しから入ります。そういう癖がついてしまうんです。そうすっと、どんな物事もネガティブに捉えてしまったりして、人から避けられるし、自分でも物事にチャレンジする前にガンガン意欲がなくなっていきます。やっぱり悪循環。


自分で勝手に意欲をなくしやすいんですよね。完璧主義って奴は。


で、問題はじゃあどうするかってとこですけど、まあ、やめようと思ってやめれたら苦労はしません。
大体完璧主義者ってのは、やはり必要に迫られてそうなってしまったケースが多いと思うので。
例えば、親が同じように完璧主義者で、貴方にミスを許さなかったとか・・・・。物事は1回で覚えろとか、成功することより、人に迷惑かけるな、失敗するな、と散々言われたとか・・・・。こうなると、失敗しないための最良の方法、迷惑をかけない最良の方法となると「何もしないこと」になります。

何もしないのが一番トラブルを産まない。何もしないのが一番ミスをしない。何もしなければ失敗しない。怒られることもないし、恥をかくことも無い。そんな感じ。そうすると、評価機軸はおのずと何をなしたか、より何を失敗しなかったか、になり、つまり完璧主義の出来上がりです。

ただしかしここで罠が。学生時代はそれでよかったけど、社会人になると急に「何もしないでいたこと」「何もしないでいること」を咎められるわけです。しかも今まで、何もせずにいろ、迷惑かけんな、といってた人が、みたいに。

まあ本当ふざけんなって感じですが、それを言っても始まりません。
完璧主義から脱却するには、完璧を求めないことです。70点ぐらいで、満点なんだと、そう思いましょう。もう評価は0点からはじめてください。完璧自体は目指します。目指すけど、できなくても気にしない。良いところを出来るだけ見つける。

ぶっちゃけ、結構難しいです。完璧を目指しながら、完璧じゃなくても気にするなといってるんですから。ちょっと矛盾してます。まあでも完璧に出来ないくせに完璧を毎回目指すのも似たようなもんだからいいでしょう。

とにかく第一歩は「自分を褒める」「自分に感謝する」ことからだと思います。もう、唐突に自分って偉いなあという。唐突に自分に感謝する。体とか。生きてることとか健康とか。出来なかったことがあったとしても、挑戦したことをまず褒めたりね。

俺も今でこそ大分プラス思考ですけど、最初はこんなとこからのスタートでした。完璧主義から脱却できないことに自己嫌悪しそうなのを、無理やり「いや、脱却しようと思っただけで俺偉い」みたいな。「こんな状況でも諦めてない。俺凄い」みたいな。

微妙に矛盾したことを要求してるので、難しいとは思います。
でも、完璧主義はやっぱり精神的に、自分も他人もきつくなります。3歩進んで4歩戻る感じでもいいじゃないですか。戻ったとしても、最初から0歩よりいいと思います。そのうち、3歩進んで3歩になり、2歩になるはず。

上みたいに、いいとこ探し、をしてると、気分もいいもんですしね。ちょっとずつでいいので、是非やってみてください。そして、完璧を求めないで下さい。

このblogもミスがあっても暖かい目でみて・・・・なんでもな(ry

劣等感の完璧主義の話でした。次は人と比べない方法の2個目でもしゃべってみよっかな。


ニート考察・回想録7「劣等感の克服・vs過去」 へ続く



↓クリックまでが1記事です……なんてね
人気ブログランキングへ  にほんブログ村 その他日記ブログ ニート日記へ

“ニート考察・回想録6「劣等感の克服・vs完璧主義」” の続きを読む

ニート考察・回想録5「劣等感の克服・vs他人」

ニート考察・回想録4「ニート時代の友人とのつきあい」の続きです。

どっちかというと
ニート考察・回想録3「ニートにならないためには」09/06/07の続きかな?

前回は劣等感を持つこと自体を肯定してたりするからそれやめようって話でした。で「相対視点にこだわらない」でねって感じで。

とはいっても、人と比べてしまうのはしょうがないと思います。どうしてもね、やっぱり気になるし。しかし、比べていては劣等感から脱却できません。

そういうときどうするか?一つの方法として「最後には勝つからOK」と思うってのがあります。

そう、今負けてても別にいいじゃあないですか。
誰かに彼女がいて、自分に彼女がいなくても、結婚しない限りは別れます。そのときは自分がいるかもしれないし。結婚したとしても、離婚するかもしれません。結婚して続いて、子供いたとしても冷め切ってたり子供が非行化したりするかもしれません。そのとき自分は幸せを謳歌してるかもしれません。
金銭面や名誉面でも同じです。上手くいく人の人生が、常に右肩あがりとは限りません。どっかで落ちるときもあります。その時勝ってれば、勝ちじゃないでしょうか。

どうしても、人と比べてしまって劣等感を感じたとき、自分はそう考えていました(立ち直った後の話です)。確かに今は負けてる。でも、今後もそうとは限らない。5年後、10年後は分かりません。そのときに勝ってれば勝ちじゃないかと。

で、その勝ち負けって、他人から幸せに見られるかどうか、じゃなくて自分が幸せと感じてるかどうかだと思うんですよ。で、そういう基準なら、なおさらのこと先なんて分からないじゃないですか。自分らは、本当に些細なことでも幸せを感じることができるわけですし。ニートとかの経験があると、人の「好意」って奴が、本当に身にしみて嬉しいです。客観的に誰か挫折知らない人と同じ状況まで登ったなら、普通の人よりも幸せ絶頂で生きている自信があります。


そう、最後には勝てば人生OKです。どんだけ失敗して挫折して嫌になっても、一度成功すれば「あの失敗があったから今の成功があるのだ」とかなるに決まってます。彼女全然いなくても、一人できれば「この人に出会うために、今までは上手くいかなかったんだ」とか仕事見つからなくても「こことめぐり合うために今まで落ちてたのだ」とか、一度成功すれば過去を全肯定できます。


だから、今負けてても、気にすることなんかないのです。最後には勝つんだから。勝つまでやるんだから。負け組みなんて知ったことかですよ。今負け組みなら将来も負けですか?勝ちなら勝ちですか?んなことはないはずです。である以上、どうでもいいことです。


さて、劣等感が抜けない理由の、他人と比べてしまう、という人は人は、こういう考え方をしてみてはいかがでしょうか。人生はオセロです。最後が白なら道中も全部白になるんです。

次は、自分と比べてしまう人向けの話をしてみようかと思います。先にいっておくと、自分と比べて劣等感になるタイプは、まず大抵は「完璧主義者」だと思います。

ニート考察・回想録6「劣等感の克服・vs完璧主義」


↓ポチってくれると嬉しいものです
人気ブログランキングへ  にほんブログ村 その他日記ブログ ニート日記へ

“ニート考察・回想録5「劣等感の克服・vs他人」” の続きを読む

ニート考察・回想録4「ニート時代の友人とのつきあい」

ニート考察・回想録3「ニートにならないためには」の続きです

まず「劣等感を無くそう!」と自分に宣言する、目指そうぜって話をしたんですが、まあ目指していきなりなくなるならもうとっくに無くなってるという話で。
下手すると「劣等感失くそうと頑張ったのに無くならなかった自分に劣等感」みたいなもうどうしようもないスパイラルに入ったりします。

劣等感ってあると辛いです。引け目と言い換えてもいい。友達と会いづらくなったりとかします。
というかしてました。
輝いていない自分を見せるのが辛い。見られるのが辛い。「まだ就職してないのか」みたいな目で見られるのが耐えられない。まあほとんど、自分が思うほどには相手は思ってないもんですけどね。
でも「ここで連絡取らなかったら関係終わる
相手はなんとも思ってない。俺がなんとも思わなければ、何も問題ないはずだ
相手より上のときだけ連絡する人間になんてなりたくない
会ってしまえば、会って良かったって思える相手だ
とこんなことを念じながら、電話かけたりしていました。

自分がダメになってる自覚のあるときに、人に会いにいくのは本当に辛い」です.
これはガチ。自分がノリノリの時に、会うのなんて楽勝ですよ。
まあそこそこやって、そこそこ結果ある。こういうのも平気です。
そんで、結果は出てない、けど自分は頑張ってる自覚がある。
こういうのも意外に楽に会えます。結果でてなくてもね。
やるだけやった。ってときはすっきりしてるもんですから。


問題は、自分が頑張ってない自覚があるとき、です。
この時期は本当に辛い。もう自分への自己否定がヤバイし、その自己否定が原因で
頑張る気が起きないし、その頑張れないこと自体への自己否定がまたヤバイし、で
とんでもねえ悪循環ループになってます。
ぶっちゃけこのループを放置するだけでガンガン死にたくなってくる。


頑張ってないのが辛いとか、人に言えない愚痴だしね。
言った瞬間に甘えてんじゃねえとか言われますし。でも違うんだ。辛いんですよ。
その辛さを人に言えない辛さ。ガンガンたまっていきます。


というか人に会いたくないしね。理由は上に書きましたけど。
でも自分は、あえていいます。
引け目が原因で会いたくないなら、それでも会いましょう
会いたくない気持ちは良く分かります。誰だって嫌ですよ。すっごい精神力がいります。
でも、会うことで得られるものがやっぱりあります。
なんせ、本心は会いたいんだから。
それにね、社会人になってからちょっと思うんですが「つきあってメリットのあるときにしかつきあってくれない」みたいな人もいるんです。そろばんかついで眺めるような。ニート時代にはそういう人は皆去っていきます。そういう人が寄ってこないのって、結構幸せなことだと思います。そういうのに出会うと、ニート時代からの友人に感謝できますよ、ほんと。感謝させてくれることに逆に感謝ぐらいの勢いで。


もし、貴方がニートの友人なら「大丈夫」とでも元気付けてあげてください。「気にしないぜ」とか。
「ダメな時期に人と会う」のは凄くエネルギーがいるんです。
これはニートに限らないと思います。
何度も言うけど、調子いいときに人と会うのなんて簡単なんですよ。
頑張ることすら出来ないダメなとき。そういう時は凄く会いづらい。


でも会いたい人なら会いましょう。大丈夫。人生最後に勝ったものの勝ちです。ちょっと程度失望されてたとしても、一度成功すればあっさり覆ります。人の評価なんてそんなもんです。



なんかね、こういう時期って他人の視線に対して辛いってあると思うんですが、相手から切られるのはまあしょうがないとして、自分からバッサリ切っていって欲しくないなあと、そう思うわけです。
まあ・・・友達に限らずね。こういう状況の方って、何でも自分から諦めがちです。就職とか幸せとか恋人や結婚とか。いや、気持ちは分かるんですよ。望んで失敗するって、辛いし。でも、それでも、あっちから断たれるのはしょうがないとして、何も、自分から切らなくてもいいじゃないですか。諦めたほうが人生楽しくなるなんて、俺は思いません。だって本音は諦めたくないんだから。だから、せめて自分から断つのはやめませんか。
まーとはいえ、自分もなんでもかんでも夢見てるわけでもないですけどね・・・。でも、なんでもかんでも諦めるのもやめたってことです。

ニート考察・回想録5「劣等感の克服」続き


↓よろしければお願いします
人気ブログランキングへ  にほんブログ村 その他日記ブログ ニート日記へ

“ニート考察・回想録4「ニート時代の友人とのつきあい」” の続きを読む

ニート考察・回想録3「ニートにならないためには」

ニート考察・回想録2「ニートになるきっかけ」では、劣等感が原因でニートになるという話しました。

では劣等感を持たないようにするにはどうするかです。大体、ニートにならなくても、劣等感なんて持ちたくないですよね。自分も学生の頃から「自分は劣等感が強いなあ・・・・」と自覚してて、しかしどうにも直せなかったという経験がありました。

しかし、今では克服してる・・・まあ完全とはいえないんですが、あの頃よりは大分マシになってます。その方法をお話しましょう。

劣等感が強い、それを克服したい、でも治らない。それは原因があります。
その中で、意外に当てはまる人が多くて、真っ先に直すべき原因ってのがあります。それは
そもそも劣等感があることをそんなに悪いことだと思ってない」という原因があります。克服したいのにこんなこと思ってるの?いやおかしいだろ。って思うかもですが、そういうもんなんです。変な言い方ですが、居心地のよさを感じてるのです。
持つようになった理由があるんですよ。持ちたくなかったけど、理由があるんです。
自分がですね、優れてると思うと生き辛いのです。優れてるなら、何故こんな現状なのか、こんなはずじゃない!何故、何故・・・そういうギャップに苦しみます。また、人を見下すようになるんじゃないか、見下すと嫌われる=そんな苦しみはいらない。劣等感をもって、人の美点を見るほうがいい。そんな感じだったりね。劣等感は嫌だなと感じつつ、劣等感を持つ自分を肯定してるのです。肯定してるんじゃあ、治るわけがないですね。


あえていいます。「それでも劣等感は不要です」。
劣等感を失くすということは、理想の自分になるということではありません
優越感を持ち、他人を見下すことでもありません
劣等感を失くすというのは「今このとき」「ありのまま」の自分を認めるということです。理想の自分と比べることではありません。他人に対しては「私も凄い」「でも貴方も凄い」と両立して認めれるようになることです。どっちかが勝ってる、負けてると勝敗つけることではありません。

ですので、劣等感を捨てることにデメリットはありません。まず、ここをしっかり認識して、劣等感を捨てていいんだ、自分はそうするんだと思うとこからがスタートです。

そんなもん、最初から心の底から思ってるよ!って人は前置き長くてすいません。自分はそうじゃなかったんで・・・。大体の劣等感にさいなまれてる人も、実はそうじゃないかなと。劣等感から抜け出したいと思いつつ、同時に劣等感を感じることにある種の安堵を抱いているという・・・・。もし、そうなら存分にやめていきましょう。劣等感は捨てていいです。マジイラネ。


さて、捨てようと決意した。それはいいです。ではどうするか?
まず一番大事なのはですね「相対視点にこだわらない」ことです。劣等感は「あいつよりどうこう」「こうあるべき自分よりどうこう」といった、相対的な視点から生まれます。ですが、相対的に解決しようとすると、絶対に解決しません。世界は広く、必ず上には上がいる、誰もいないとこでも、理想の自分という上がいるからです。相対視点そのものからちょっと外れましょう。まあ絶対に比べるなっていうんじゃなくてね、それだけにこだわるなって意味です。

まーもうちょい具体的にいうと「負け組みとか、ニートとかバカにしない」ことです。こういうのにこだわると、いざ自分がそうなったときに、立ち直れません。もし、ここを見てるかたでニート経験ないのにニートバカにしてる方がいたら忠告いたします。貴方はニートの素質が十分あります。そういう方は、一旦歯車が外れたとき、自己否定、他者否定からはじまるでしょう。そして、そこからはまず良い結果はでません。そして、そんなバカな。こんなはずじゃ。運が悪い、世の中が悪い、悪循環の泥沼に・・・・。


ニートにならないタイプってのは「ニートでも別にいいじゃん」「負け組みって何?美味しいの?」こんな感じの人ですね。うん、ニートでも別にいいと思いますよ俺。自分がなったから言うわけじゃないですがw
ま、就活の後期はそう思ってましたね。確かに世間がいい目でみないってのは勿論分かってましたが、それはそれです。世間がお前は不幸だ、といってきたら不幸だと思わなきゃいけないんでしょうか?世間がダメな奴だ、といってきたらそう思うのが自分の幸せに繋がるんでしょうか?


そんなことはないと思います。世間が納豆好きはおかしいという風潮になっても、俺は納豆を美味しそうに食べるでしょう(めっちゃ好きなんです。アレは神。まあいいです)。ニートだってそうです。就活してるんです。とやかく言われる筋合いはありません。してなくても、したいと思ってるんです。それを否定されるいわれはありません。その気すら起きなくても、そういうどうしてもダメな時期ってあります。誰にでもあることをけなされる必要なんて感じません。それに本人は、そこから立ち直りたいと思ってるんですから尚更です。ダメな時期がなかった奴にさも知ったように言われたくないし、あったなら尚更のことそういう自分を棚にあげていう人にいわれたくありません。人は人、自分は自分です。


長くなったので、次回に続きます。つか本当に長いな!2つに分けようかと思ったけど、それもサービス精神?が足りない気もするし!まあ、劣等感のところは、どうしても長くなってしまいますね。多分まだまだ続くよ!まあ一朝一夕でどうなるもんでもないし、肝ですので。とりあえず、今回言いたいのは「俺は劣等感を捨てるぞ!」って思おうぜってことです


あ、コメは見てるよだけでも歓迎してます。今思ったけど、blogのコメ無しは、掲示板に長文レスしてスルーされるとさびしい感覚に似てる。
ニート考察・回想録4「ニート時代の友人とのつきあい」
へ続く。

↓よければお願いします
人気ブログランキングへ  にほんブログ村 その他日記ブログ ニート日記へ

“ニート考察・回想録3「ニートにならないためには」” の続きを読む

ニート考察・回想録2「ニートになるきっかけ」

前回「ニート考察・回想録1「ニートになる条件」の続きです。

さて、ここらで自分の経歴をもうちょい詳しく書きたいと思います。
空白暦は5年(と5ヶ月かな?)てのは事実なんですが「連続」5年ではないです。
専門いってたんですが、卒業したのが21のときでしたかね。
まあそっからニートしてましたが、その期間が2年でした。
その後コールセンターのバイトをしました。割と真面目に。
でも9ヶ月でやめて、で、そっから・・・どんぐらいかかったんですかねえ。
結局3年と4ヶ月かな?
ニートしてましたね。卒業後の2年と、バイト後の3年4ヶ月は「完璧なる無職」です。
日雇いのバイトもちょろっとしましたけど、5年のうち足して10日いってるかも微妙なもんです。

で、振り返ってですが、ニートになる「傾向」ってのは学生時代からちょろちょろとありました。
まあまず、モテないっすね。モテた記憶が一切無い。素振り、フラグの段階ですら0!
誰かに褒められたこともろくになく、取りえが無いとかオタくさいとか運動も大してできないとかそんな感じだったと思います。
家に帰ると両親は帰るの遅いし、たまに喧嘩してましたしね。
親が喧嘩したら自分の部屋に逃げてたし。これで逃げ癖がついた気がします
臭いものには蓋。どうしようもないものからは逃げるに限る。

そしてトドメが専門学校。ここの学年主任が最悪でした。あと担任もいいもんじゃなかったですね。
まあ、人を褒めたのを聞いた記憶がないですね。というか、信条が叩いて叩きまくってそれで伸びてきたら本物とかいう感じなんで。
自分が思うに、そういう奴は別に叩かなくても伸びただろうし、潰してる数のほうがよっぽど多いと思うんですけどね。
で、専門学校きた時点で、割と劣等感の塊だったんですが、上記教育により、それにトドメをさされました。
個人的に、劣等感が非常に強かったので、俺は自分が誰かより優れてるとか、全く思わなかったのです。知的なAさんと比べては専門能力で負けてて、社交的なBさんと比べては友人の集まり具合で負け、DQN気味のCさんと比べては行動力で負け、成績最低なDさんと比べては前向きさで負け、てな具合で、誰よりも劣る俺最低だな、とか思ってました。で、ちょっと3年のときにスランプになって、そういうときにここぞとばかりに担任や学年主任に叩かれて劣等感がさらにヤバイことになって、就職できずにニート完成と、そんな感じですね。



で、まあざっとした流れはこんなもんなんですが、なんで劣等感を強調したかというと、結局これが原因だと思うからです。自己肯定感の少なさ。これが全ての元凶です。モテないってのもそうだし、褒められてないってのもそうです。他者に存在を肯定された経験が圧倒的に不足している

対策としては、これをですね、抜け出すことがまず第一だと思います。
かといって、よし、じゃあ抜け出すために他者に肯定されよう!ってそれは無理ですよね。いきなり空から美少女が降ってきて、世界を救えるのは貴方しかいないんです!貴方ミーツ私!貴方is正義!と最強の肯定をしてくれるとか、まあここまで肯定されれば誰でもやる気がMAXで外にでるんじゃないかとは思うんですが、そういうのはちょっと無理があります。


ではどうするか?自分で自分を肯定しましょう。なんか胡散臭い上に、空しいですか?まあ気持ちは分かりますが・・・。
でも、それでも俺はこれが必要だと思います。むしろ、どんだけいっても、自分以上に自分を肯定してくれる人はいないです。いや、もっというなれば、人は自分で自分を肯定するために生きている面もあると思います。
とはいえ、実績も無い。保証も無い。すぐ現実が見える。という状態では中々難しいのも事実。
言うのは簡単なんだよ言うのは!
次はそこらへんを掘り下げていきたいなと思います。
自分は今どういう考えで動いてるか、動いてたか、学生時代は結局どうすればよかったのか、ですね。

ニート考察・回想録3「ニートにならないためには」に続く!

あ、コメは一言どころか3文字だとしてもあると嬉しいです

↓も1つだけでもあると嬉しいです。
人気ブログランキングへ  にほんブログ村 その他日記ブログ ニート日記へ

“ニート考察・回想録2「ニートになるきっかけ」” の続きを読む