ニート考察・回想録21「嫌いな人なんていない後編」

ニート考察・回想録20「嫌いな人なんていない」 の続き。

サクッといきます。

ネガティブやめよーよ

どーやって。

悪口とかゆーのやめよーよ

やなヤツいたらどーすんだよ

ガンシカトでいいじゃない

やなヤツがしかと出来ないほど身近なヤツだったらどうすんだよ

さてさて


という感じでしたが。ネガティブを直す一因として、悪口言わないというのがあって、
それやるために、さらに方法がって、その中の一つの状況で・・・
と大分話が遠くまできていますが、必要だとも思うので書いてこう。

俺の場合、身内がそーなりました。兄妹がいるのですが、そやつが
宗教というか、神の声を受信するような何かに目覚めまして。
で、当時ですが、俺は最高に宗教家だとかなんとかを忌避していたので。
もうなんつうんですか?そのときは絶望しましたね。ちょっと目の前真っ暗になった。
よりにもよって一番毛嫌いしてた人種が身内に・・・。
他人だったら1000%縁を即霧してるのに、なんか電波なことたくさんいってるし・・・。
神のために必要だからとかなんとか、運命だからとかなんとかで、
平気で実家にお金せびるしさ。しかも当たり前みたいに受け取って感謝しないし。

そのとき衝突もしました。「こいついずれ平気な顔して借金作ってくるんじゃね」
ぐらいに思ってたので、なんとか眼を覚まさせようと

しかしそれがダメでしたね。ぶっちゃけ傲慢というヤツでした。俺がね。
兄妹は、余計に耳を貸さなくなりました。

考えれば当然ですね。自分を否定する人に共感したり耳を傾けてくれるわけがない。
普通はね。さらにそれに「本当は自分が迷惑こうむりたくないから言ってる」
みたいなのがあると尚更ね。
(関係ないけど、今これ書いてて、これニート時の俺がやられたくないことそのまんまじゃんw
 って思いました。いやいや皮肉というか・・・・)

だから、色々変えました。俺も反省して。

一つには「これは修行だと」。
異質な相手をどれだけ受け入れれるかの修行なんだと。
もう一つは「信頼に立ち返ること
ヤツは電波なことばっかり言ってるが、悪事を働いてるわけじゃない。
それに神云々いうなら、そっち方向に同意すれば逆に良い方向にも導けるんじゃないか。
何より、俺がなんとかすればいい。兄なんだから。
なんとかできなかったらそんときだけど、最悪俺一人で養う覚悟があればよい。

俺もニート真っ只中だったけどそう考えたら、楽になりました。

相手を否定しないこと

これに集中しました。
そしたら、あっちも大分やわらかくなって、いい感じになりました。
俺も、前は口を開けば思想の否定でしたけど
「そういう考えもあるよね」となっていきました。

それにあわせて、自分自身もなんか前向きになっていったと思います。
他人を否定しないということは、自分を否定しないということにも繋がっていくのではと。
許せないものを許すというのが、自分の許せないところを許す、
というのにも繋がるんじゃないかと思います。

こういうところで一度耐性がついたから、仕事でも合わないと感じたら
割とさっと避けれるのかも。身内に比べれば、
会社の合わない人なんて避けるの全然楽です。
最悪会社辞めればいいし。

ま、なんせゆーてもいつもいつも身内にやったように、寛大というか、
俺も一生懸命対応しようとするわけではないですからね。

大体はすぐ去りますw

それがお互いのタメだよね。


ニート考察・回想録22「努力が足りない、なんて他人事だからいえる」 へ続く


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ニート考察・回想録20「嫌いな人なんていない」

ニート考察・回想録19「ネガティブからどう脱したか」 より

さて、前回はネガティブはやめよーぜと書きました。
そのために、批判や悪口やめよーぜとも書きました。
そしたらニートやめれるのに近づけるんじゃないかなと書きました。

とはいえですね、人生どうやってもヤなヤツってのはどっかにいます
現在進行形で出会ってるかもしれませんし、
過去会っていて、凄い嫌な事された記憶があって、恨めしいかもしれません。
そこらへんを書いて見ます。

◆対処法の1
幸いですが、俺は嫌いなヤツって今までロクに居ませんでした
もしくはいても消えた。
んなわけねーだろって思うかもですが、結構事実です。
どーでもいいヤツはたくさんいますけどね。

まあ、そういうことです。
対処法の1つとしては。

基本的に自分の嫌いなヤツ・・・まあこういう言い方も余り好きじゃないので
自分は大抵「合わないヤツ」って呼んでますけど。
そういう人とは、基本的に、そう(合わないと)判断した瞬間から、徹底して接触を避けてました。

昔から、嫌でした。何がって嫌な奴のことを考えること自体が。
だって、例えばですよ。なんかひどい事されたりしたとしますよね、昔。
そして時間たってそれを思い出す。ひどいと1日ぐらいずっとその時のこと考えてたり。
どう復讐するかとか、どうこの嫌な記憶を処理するかとか。
さらに1日で終わらず、何日も何日もそういう日が続いたり。

でもさらに考えて見てください。そういう日がずっと続けばどうなります?

起きてる間中、そいつのことばっかり考えてたとしたら、
人生の何割かをそいつの事で占めてしまうんですよ?

そんなん、人生がもったいないじゃないですか

なんで一度しかない人生をそんな低俗なヤツの思考で埋めねばならないのか。
そんなのより、好きな人とか、家族の事考えたほうが良くないですか?
少なくとも、嫌いなヤツについて考えた時間が、家族について考えた時間を上回るとか、
好きな人について考えた時間を上回るなんて、なんか、凄く嫌ではないですか。

こっちが憎んだり恨んだりするほどにあっちが憔悴したりするならいいですが、
大体無関係にグースカ寝てたりするしね。
だったらなおさら、考えるだけ、気にするだけ損じゃないですか。

嫌いなヤツが浮かんだら、好きな人のこと考えればいいです。
嫌いな人と会いそうなら、徹底して回避しましょう。
そうすると、段々そいつのことはどーでもいい感じになってきます
だって会わないし。考えないし。視界に入れないし。
声が聞こえたとしてもそのうち忘れるし。

そうすっと、なんかあっちからも離れてくことが多い気がします。
まあこっちから避けてるから普通にしてればそうなるんですけどもw

ただここで、復讐を望むがために、エネルギーを消したくないという人もいるかもですね。
そういうのを否定はしません。やりかえしたくばすればいい。
でも、復讐に怒りや憎しみは必要ですか?目には目を、歯には歯を、なんて
別に無感情でもできますよ。
どうせなら、そいつにかける時間というのを出来るだけ減らしたくはないですか?
俺は合わない人に対しては、考える時間すらもったいないです。
合わないんです。それで終わりです。だから、悪口言うこともないです。
どうでもいいですから。

これが、対処法の1つ目です。

ちなみに俺は、中学のときに1年間不登校になったことがあります。
すっげーからかわれたり馬鹿にされたこともあります。
でも、今では心の底からどーでもいい感じです。
やっぱりもったいないですね。友人や恋人や家族とか考えてたほうがいいです。
いや、恋人はいないんだけど

◆対処法の2
もう一つはですね。
相手を凄く良い人扱いすることです
扱いするだけじゃなくて、良い人だと信じ込めばモアベター。

俺が、人と出会うときの基本スタンスはこんな感じですね。
「俺の周りはいい人ばかりだ!」って思う、もしくは口に出してしまうと、
本当にそうなったりします
理由は良く分かりません。うちゅうぱわーとやらかも。
多分、人ってのは、善人扱いしてくれる人に、そうそう悪人になれないのではと
自分では分析してるんですけども。
そういう意味で、自分は「嫌いなヤツ」って言い方をせずに「合わないヤツ」って言い方をします。
良い人なんです。俺とは合わないだけで・・・。
どうしようもないから、だから会わないほうがお互い幸せです。
合わない人同士が無理に会うと、ロクな事にならないと思います。

「無条件で良い人扱いする」。大事だと思います。
まあ良い人扱いといっても、鍵はしっかりかけるし、貸し借りはきっちりするんですけどもw
そういうところで無条件に信じろっていってるわけではないですw
ユダヤの諺に「君の事を親友だと思ってる。だから現金で払ってくれ!」というのがありますw
人としての弱さは誰にでもあります。それに備えた上で、良い人だと思うってことです。

何よりね、こっちのほうが楽ですよ。良い人扱いすれば、余り悪口も出ないしね。
悪口を言わなくなれば、ネガティブからも離れられるってものです。


まあこんな感じです。いかがでしたでしょうか。
上の2つで大事なのは「根から合わないと思ったら避ける」ことです。
嫌な奴から、ガン逃げっぷりが足らない人が多い気がする。


さて、最後に「そーいっても避けきれない時どーすんの」ってのを書こうかと思ったのですが
長くなったのでまた次回に繰り越したいと思います。

ちなみに俺は家族がなったんだぜ・・・・。兄弟ですけど。
一番なって欲しくない人がなって欲しくない感じの人になってしまった話。
ニート考察・回想録21「嫌いな人なんていない後編」




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ニート考察・回想録19「ネガティブからどう脱したか」

ニート考察・回想録18「何故自信がもてない?」 より


言うまでもないかもしれませんし、もしかしたら違うのかもしれませんが、
ここにいる大半の方は、いわゆる「ネガティブ」ではないかと思います。


とにかく前向きになれない。
何か情報を与えられると、まず失敗することを考える。
そもそも成功イメージがわかない。
暗い。
悲観的。
否定的。
どうせ自分なんて

そんな感じで。

ポジティブな方は、おめでとうございます。
読み飛ばして問題ない記事っす。

◆ネガティブはダメだということに気づく
俺も昔そうでした。凄い後ろ向きで。ネガティブで。
今でこそ結構前向きですけど。昔はそんなんでした。
あまつさえ「ネガティブであることに一種の心地よさ」さえ感じていました。
いや・・・精神的に楽なときもあるんですよね。
一種酔ってるというか。「どうせ自分なんて」という言葉はなんか妙な心地よさもあります。
共感できない人はすいません。スルーしてください。

しかしですね。そういう精神だと本当に何もできません。
まあ常に諦め状態なんだから当たり前なんですけど。
俺はかなりニートした後に「ネガティブは何も得しないんじゃね?」と気づきました。
ぶっちゃけ2年ぐらいかかった。2年生活して、ニートから抜け出れないという結果をみて
「これネガティブのせいだな」と気づきました。
いやあ・・・・正直気づくの遅かったかな。
普通の人だと「何を当たり前のことを」というかもですが、
上にも書きましたが精神安定とか、ネガはネガで理由があってやってたり、
もしくはならざるを得なかったりした経緯が大抵あるんですよ。

ですので、ネガティブのほうが実は人生成功するんじゃ?とか思ってる方。
自分が既に実践して実験して結論だしてますので、続く必要はありません。
多分、実験を続行しても同じ結論にたどり着く可能性が高いのではと思いますよ。

◆でもどーやってポジティブになる?
それでですね「ポジティブになろう!」と考えたはいいものの
問題はどーやってなるかですよ。
ポジティブになるぞおおお!!!!!」と宣言してもですね
結局アクシデントにぶつかると、すぐ失敗のこと考えてしまったりね。
ネガティブの癖ってのは中々抜けないものです。
でも、すぐポジティブってのにはならなくても、ネガティブを辞めることはできます。

そんで、辞めよう!って思った時から実行してることがあって、
このおかげでネガティブやめれた!っていう行為があります。
今もかなり強く意識してやってます。

それはですね「絶対悪口言わない」ってことです。
人の悪口に限りません。いわゆる「批判」もしません。
自分は漫画とか小説読むの好きですが、すっごいつまらない漫画があるとします。
それにも文句言いません。
2chとかでスレありますね。物凄く反論して叩きたくなるようなレスがあります。
それもスルーします。
匿名だからとか関係ないです。徹底的にシカト。

何故かっていうと「回りまわって自分が悪口言われたりするから・・・」というのではありません。
「魂が汚れる云々」とかでもありません。

悪口もしくは批判をする、っていうのは「欠点を探す」ってことなんです。
これがやりたくて仕方ない状態ってのは、欠点を探したくてしかたないとかと同義です。
ふと気づくと、癖になってたりします。

そうなると、どうなるか。自分の物事に対しても、そうなります。
自分の評価も欠点探しから入る。チャンスもピンチ要素のチェックから入る。
出会いも何かしらの裏を考え、欠点やリスクばかり注視する。
やる気でるわけないですよね。いわゆるネガティブを増長します。
自分以外に対してはネガティブ、自分だけにはポジティブとかはまず無理です

他者の要素に対して批判姿勢でいるっていうのは、自分に対してもそうです。
他者のいいとこ探しが癖になってるなら、自分に対してもできます。
他者のチャンスを応援できるなら、自分のチャンスもできます。

ですので、俺は脱しようって決めた時から、悪口・・・特に対人の悪口とかより
ネット上や対作品、それにたいして悪口を一切言わないようにしてきました。
そして、悪口を言いたくなるような環境、ようするに皆が批判しあうような空間からは
全力で逃げたり耳閉じたりしてきました。
具体的には2chとかの非難スレっぽいのは見ないとかw

すぐにこの活動が身を結ぶことはなかったけど、どこで結果がでたとか、
いつ変わりましたって今でもいえないけど、効果があったと思ってます。

悪口というより、批判・否定・粗探し・叩きからは出来る限り離れてきました。
ネガティブから脱却するには、非常に大事な要素だと思っています。
否定好きなポジティブなんて見たことありません。お気をつけを。

……勿論、自分の悪口を言わないことも、大事ですよ?

次は、そーはゆーても嫌な人に出会ったり、嫌な過去の記憶をどう処理したかとか書いてみようかな。

ニート考察・回想録20「嫌いな人なんていない」 へ続く


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ニート考察・回想録18「何故自信がもてない?」

前回はニート考察・回想録17「働くことが割りに合わない!って感じるとき」 でした。

自分はこのblog内で、結構「自信を持とう」みたいなことを幾度も
書いたりしているんですが、正直、中々難しいです。
言ってすぐできれば苦労なんかねーよというか。

自信とはなに?
自分は、自信というのは「成功イメージ」だと思っています。

今からやる作業に対し、具体的な成功イメージがもてるかどうか?
「成功確信」でもいいですが、それが鮮明に描けるかどうかじゃないかと。

自信がもてない分野ってのは、
基本的に「どう成功してるか」のイメージが全くもてない。
とりかかりすら良く分からない。
アクシデントが起こったときの対処も良く分からない。

「自分には出来る!」というイメージを刷り込もうとしても
「出来ているイメージ」が想像できないので、どうしても根が弱い。

逆に「自信を失っている」状態というのは、
「失敗してるイメージ」が細部までイメージできてしまう、してしまう状態です。
ついでにいうと、その失敗から立ち直ってるイメージすらもてない状態。

振り返るに、ニートが苦手としがちな就職活動や、対人、友人作り、恋人作りを
見ると、恐らくここらへんで「成功した経験が0」なのではないか(もしくは0だと思ってる)と。

経験が0では、流石にイメージできない。逆に、失敗した経験は豊富で
それが自信喪失に繋がっている。
さらにいうなれば、成功経験が0だと「今の自分の手法は間違ってるんじゃないか」
という疑念が自分を包み、行動事態もトーンダウンしがち・・・というかする。
それらの結果、持てるものはさらに富み、持たないものはさらに失うということです。

でも、逆に言えば「小さくても一度成功すればいい」んです。

他人が10回やって成功するところを、100回ぐらいやらないと成功しないとしても
1回成功すれば同じです。その成功の体験、自信、イメージが次へ導いてくれます。
0と1の差はまじででかいですよ本当。

◆「失敗を成功と思う!」という正体
そして、もっといいのは「失敗を成功と思う」ことですね。

有名な話ですが、エジソンは電球の発明をしたときに、
素材を見つけるのに1万回失敗しました。
そのときに記者に「何故1万回もの失敗を乗り越えられたのか?」と聞かれ
私は失敗など一度もしていない。1万種もの適してない素材をみつけただけだ
と言い放ちました。

これを「失敗したけど、成功だと思ってきた」みたいに捉えると、
壮絶なトラップにはまります。彼は「やった後」にそういったのではないです。

どういうことかというと、
やる前から「電球が光る素材を発見した」ことを「成功イメージ」としてただけではなく、
「電球が光らない素材を発見した」ことも「成功イメージ」としてたということです。

重要なのは「やる前から」というとこ。
やった後に」「いや、これは成功だ」と思うことはできます。
しかし、それは不十分。何故なら、やる前はそれを「失敗」と認知してるからね。
それでは、自分の敗北感を騙すことはできません。

むしろ大事なのは「やる前」。「やる前」にその失敗する過程を想像する。
しかし、同時にそこから何かを学びとっている自分をイメージする。
そして、それを「成功イメージ」だと認知して、事に当たる。

「やる前に思う」。
これが、「失敗を成功と思う」ということの本質だと思います。


先ほど言いましたが、どうにも自信がもてないというのは、
「成功のイメージは全く浮かばない」状態です。
しかし、「失敗のイメージ」ならばリアルに思い浮かべれるはず。
ここを一歩推し進めて「その失敗後に、何かを掴み取っている」イメージまで昇華しましょう。
これを「やる前に」「成功として」イメージすることが重要だと思います。

右にいったら成功し、左にいったら失敗する。
ではなく、右にいったらこう成功する、左にいったらこう成功する。

失敗しないというより、きても大丈夫・・・。それに対しても手を打てる、+にもっていける・・・
自信に溢れている状態」とはそういうことだと思います。


ニート考察・回想録19「ネガティブからどう脱したか」 続きです。


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ニート考察・回想録17「働くことが割りに合わない!って感じるとき」

ニート考察・回想録16「ブラック?orニート?」 から

最終目標がぶれてはいけないって話です。

前回、学びとかを目的に仕事すれば、ブラックでも得るものはある、即辞めても・・・という話をしましたが、さらにその考えを進めてみます。

そもそも何故仕事したいのか?
仕事したいからだけじゃないですよね。何かの達成手段として、仕事があって、仕事しないと達成できないから、仕事したい。本当にしたいのは、仕事の先にあるものです。

それはお金だったり、
仕事のやりがいだったり、
家族への恩返しだったり、
世間への見得だったり、
知人への優越感ったり、
自分が成長した満足感だったり、すると思います。

どれも重要です。
しかし、一番は「自分が幸せになること」ではないでしょうか。

そのために、仕事したり、自己満足を求めたりしてると思います。
他人の幸せのため、という人もいるかもしれませんが、それもその行為をすることにより「自分が幸福感を得たり」するからできることで、やればやるほど「不幸感しか増さない」ならやらんでしょう。

貴方が仕事したいのは、貴方が幸せになりたいからだと思います。
幸せになるために仕事を探したり、仕事をしたりするはずです。
つまり、幸せのために仕事を続けることを諦めたりすることはあっても、
仕事のために幸せを諦めたりするのは明らかにおかしいです
(一時の快楽を諦めるのはありえます。もっと広い視点です)
絶対におかしい。誰がなんと言おうともおかしい

でも、逆に言えば、仕事で多少理不尽なことがあっても構わないとなります。
その経験が、自分を幸せに導く糧になるのなら、問題はありません。
仕事の割りに合う、合わないは「客観的な労働条件」ではなく
「自分の幸せを機軸に」割りに合う、合わないを決めるのが良いでしょう。
勿論そのためには、自分にとって何があれば幸せかを知る必要があります。
いわゆる「足るを知る」ですね。何があれば自分は幸せなのか。どこまででいいのか。それの把握が大事です。


そこを見失うと、凄い大変な感じになると思うんですよね。
「明らかブラック」に入って、体も精神も悲鳴あげてるのに、
せっかく就職できたからと無理してしがみつき、結局はそう何年ももつはずもなく
より深い精神ダメージを負ってしまうとか。
「やりたいこと」に一切触れる生活ができず、働くことが心の底から嫌いになっていくとか。
「ただなんとなく過ごす」感が行き過ぎて、全く前に進んでる実感がないとか。
挙句の果てに、そこまでして仕事から逃げるなという周囲を恨み骨髄に思ったりとか。

辛いときに、辛いことを耐えれるというのは、前に進んでる実感。だと思います。
その感覚があれば、たとえ仕事どころか、長いニート期間の中にいても、
いい感じのテンションになれるんじゃないかと思います。

これも何度も言いますけど、今日明日という視点でなく、
長い視点で見るからこそできることですが。
そういう意味でも焦らずに、何年もニートしてる今だからこそ、
さらに長くなる覚悟でもって一歩ずつ進むのがいいんではないかと思います。

人生という名のチップで負けが混んでくると、
どうしても一発逆転狙いたくなっちまいますけどね。
マイナスが大きすぎてちまちまやってたんじゃ足りない、みたいな。
でも人生は余りにも長いので、ちまちまが正解だと思います。
やってるうちに、人生の加速度みたいなのがつくときあるしね。
40歳でも、今の時代、残り80年ぐらいはあるよ。まだまだです。

追記:最初に入った会社が結果的にアレな感じだったので追記。でも、絶対入ったことは後悔してません。きつかったら、やめりゃいいと思います。それでも、前に進んだと感じられます。

ニート考察・回想録18「何故自信がもてない?」 へ続く。


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ニート考察・回想録16「ブラック?orニート?」

前回ニート考察・回想録15「危機感なんぞニートには不要!」 の続き。

今の時代、ニートがかなり増えてきてるようです。
まあそうなった理由はいろいろあるでしょう。家庭だったり友人だったり学校だったりお金だったりその他だったり。
しかし、生まれたニートを「持続」させている理由は、いわゆる「ブラック企業」の存在が大きいのではないかと思っています。

ニートというのは、要するに働かざるもののことです。
色々辛い思いをしています。この辛い思いからなんとか解き放たれたい。
働けば、この辛さから開放されるなら、是非働きたい(実際可能かどうかはおいて)、
そうなるでしょう。

しかし、ここで立ちふさがるのが「ブラック企業」です。
もしここに入ってしまったらどうでしょう。
人を人とも思わない扱い、労働基準法を明らかにオーバーして悪びれない、肉体的に疲労させ、精神的に追い詰めて、そのくせ金はよこさない。生かさずに、殺さずに、じわじわと絞っていく。そんな会社。

辛い思いから脱却するために就職したのに、結局辛い思いするとか。まさに行くも地獄。行かぬも地獄。人生詰んだ、という思いだけが駆け巡り、それがより行動力を奪っていきます。

こんな考えになってたら、誰だって気力なんて沸きませんよ!
どうやったら、前向きになれるっていうんでしょう。選択肢が全部外れとか縁日のクジですか。まじでね、日本国家は労働基準法をキッチリ守らせるだけで、世間からニートってのは大分減るんじゃないかなあと思うんですけど。そしたら消費もあがって景気も上昇なるんじゃないかと。「自信喪失」ではなく、「働くこと」事態に絶望してニートしてるって人はかなり多いんじゃないかな?本当、なんとか手をうってほしいもんです。ただ法律守らせるだけでしょうに。


……とはいえ、社会が変わるのを待ってても、ラチがあきません。俺は、そもそもからして「自分でなんとかするしかない」と思うべきではと思っています。

そう、最終的には、商人か職人か、どっちかで身を立てる。会社に頼らずに、自分ひとりでなんとかしてく。今の時代、ネットがあるので元手が安くても身を立てやすいです。そして、そこにいくまでに10年かかっても20年かかってもいいと思います。最終的にはいく、という意思があれば

そうすれば、その目標に沿って会社を選べば、たとえ多少ブラックぽかろうが、自分の糧になるはずです。すぐ会社辞める結果になったとしても、必ず前に進んでるはずです。ということは、幸せに向かってるということだと思います。
さらに、それを機軸にすれば、もしブラックに万一入った場合でもあっさりやめる決断つくと思うしね。個人的な持論ですが、お金目的ではなく、学びや楽しさを目的として仕事を選ぶ、するのが、結果的にお金や楽しさに繋がるのではと思っています。

そこらへん、次でもう少し語ってみたいとこですね。



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ニート考察・回想録15「危機感なんぞニートには不要!」

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さて、ニート考察・回想録14「ゆったりしてる?いえいえ焦りまくりですよ」 の続きです


焦るっていうのは、危機感があるからじゃないかと思いますが、俺はこれがニートをニートたらしめてる一因じゃないかなあと思ってます。

少なくとも俺の場合ですけど、これが役にたったという記憶は余りありません。まあ、完全に0でも困りますけど、0じゃなければ程度にあればいいんじゃない?って思ってます。もしくは、ありすぎるなら、まだ0のほうがいいんじゃないか?って思います。

危機感を常に持つっていうのがどういうことかと改めて考えてみると、要するに「最悪の予想ばかりし続ける」ってことなんですね。

・俺、このままいったら何年もこのままなんじゃないんだろうか。
・時間が経つたび失ってくものこそあれ、得るものは何もないんじゃないんだろうか。
・友達や親に顔向けできないし、新しい縁を得ることもないんじゃないだろうか。
・幸せなんてつかめないんじゃないんだろうか。
・生きていけないんじゃないんだろうか。

・就活も、今動かないと間に合わないんじゃないんだろうか。
・動いてこなかった自分は間に合わないんじゃないんだろうか。
・誰も必要としていないんじゃないだろうか。
・万一入っても、続かないんじゃないんだろうか。
・期待されてるようなことをこなす力がないんじゃないんだろうか。
・自分に全くあってないダイキライな仕事だったりするんじゃないんだろうか。

危機感を持つっていうのは、「今何もしないとこうなるぞ」っていう感じで未来を想定し、手をうっていけっていうことだと思うんですが・・・・。
こんなことばっかり考えてる人生の何が楽しいんだよ!

言うほうは、危機感を持つ=今やらなきゃと目覚める=行動力がUP!って能天気に考えてるのかもしれないけど、実際は「常に最悪をイメージしろ!」って言ってるのと似たようなもんですよ?本当に行動力が上がると思いますか?

今の状況にもっと危機感を持て!=今の状況をもっと最悪だと思え!ですよ。
行動力が上がる以上に、やる気が無くなるってなんで思わないんでしょう。
ついでに言えば焦りを多大に誘発し、パニックを引き起こし冷静に判断できなくなったりする可能性も大というか、確実に不必要な焦りを引き出しますよ。判断ミスなんて絶対に起きます。


しかし、それでも危機感はあればあるほど良いなどと思ってる人の如何に多いことか。危機感があればあるほどいいのなら、災害時に居合わせた人に向けて「落ち着いてください」とか「必ず助かります。大丈夫です」っていうのがマニュアル化されてるのはなんだっていうんですかと。あればあるほどいいっていうなら、何故「このままいくともうダメです」「事態は皆さんの想像よりはるかに深刻です」といってやらないんですか。あればあるほど「死に物狂いになっていい結果がでる」っていうなら何故災害時にそれをさらに煽らないんです?

危機感はありすぎても害です。

そして、ダメな時期の方ってのは、基本的に危機感が無茶苦茶あります。外からどうみえようと、大抵の人はそこまでバカじゃありません。大体分かってます。そういう人に向かって危機感持てっていうのは、災害パニックの人に対し「もっと最悪をイメージして!」とか「貴方はおしまいです」っていうのに等しい。むしろ「大丈夫」と危機感を減らしてあげるほうが断然行動力上昇や判断力上昇に繋がると思います。


始終別れることの想定ばかりしてるカップルがどこにいます?いたとしたら早晩実際に別れるでしょう。友人と会うとき裏切られないかばかり考えるやつがどこにいます?会ってて楽しくないでしょう。落ちること、上手く行かないことばかり考えて面接いったらどうなるかも明白です。

危機感は短期的な鞭にはなっても、長期的には害悪です。馬の鞭と同じです。競馬でラスト直線でもないのに始終鞭叩いてる騎手がいたら速攻首でしょう。即ヘトヘトになり、叩かれるたびに体力を消耗し、競える云々のところにいくはるか手前でレース脱落です。人に対しても同じだと気づかない人が多すぎます。

ネガティブイメージは、何の役にも立ちません。必要なのはプラスイメージです。
今、焦ってる方は、周りに煽られた結果そうなったり、自分で自分を必要以上に煽ってる方が非常に多いのではと思います。しかし再度言いたいと思います。

危機感が足りないのじゃないか、ということで今後一切悩む必要はないです。就職してやってる今だからこそ改めていえます。こんなん0じゃない程度にあればいい。場合によっては0でもいい。この先に楽しいことがあると思えるから、よりよくなると思えるから、明日を生きる活力がわくんです。

危機感なんて不要です。

何の役にも立ちません。少なくとも、自分たちには。今更すぎて。

ニート考察・回想録16「ブラック?orニート?」 へ続く

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ニート考察・回想録14「ゆったりしてる?いえいえ焦りまくりですよ」

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ニート考察・回想録13「ニートって愚痴れないよね」 より


ニート時代の精神状態の一つとして「半端ない焦り方」ってのがあると思います。まあ、こういうと、外から見てる人は「どこらへんが?」とか聞いてくるわけですけども。うん、まあ外からみたらゴロゴロしてるようにしか見えんよね。なんもしてなかったりね。どこらへんが焦ってるのか理解不能みたいな。

でも、内心では凄い焦りまくってるってこと、ないでしょうか。

俺はかなりありました。とにかく、すぐに結果が欲しかった。いうなれば、明日就職したい、明日から変わりたい、明日にはすぐにこの生活にピリオド打ちたい、打たないとマズイみたいな。

とにかく、結果がすぐ欲しいのです。今すぐ変わりたい。5年目に突入したときもそう思ってました。他から見ると「5年もニートしてたら、今更の境地だろ?」って感じかもしれませんけど、当人からすると「5年もやってたからこそ、1日足りとて無駄にできない」のです。

これはニート経験を重ねれば重ねるほど悪化する傾向があるんじゃないかと思います。

そして、そのくせ、今までの自己嫌悪とか色々なものが活力を奪っていって、結局一日何もできなかったりする。もしくは、そういうときに限ってバットラックが襲ってきて1日ふいにする。そうすると「1日足りとて無駄にできない」という強い強い思いが逆にあだとなり「無駄にできない1日を無駄にしてしまった」という途轍もない徒労感が襲ってくるわけです。そして自分が嫌になって行動力無くなるスパイラル。


本当に怖いと思います。強く思いすぎるがゆえに反動がでかくなり、1日が無駄になる。そしてそれを3回繰り返せば3日。7回で一週間。あっという間に一ヶ月間、一年と経過する。同じことの繰り返しで。


ゆえにあえていいます。長い眼で見ましょう。明日や一週間、一ヶ月で逆転ホームランとか「今日から俺は!」みたいなのは辞めたほうがいいと思います。失敗したときの反動がでかいので。

短期的に変わるとかいっても、それが出来ない・・・社会的に簡単なことであろうが、一般的にはLV低いことであろうが関係ありません。少なくとも自分にとっては難度が高いから、今こうなっていて、それはどうしようもないことです。それはLVが低いとか高いとかじゃなくて、単に自分はそうだというだけです。


時間がかかることを受け入れることが大事だと思います。俺も、明日変わろう、一週間で就職しよう、1ヶ月で化けよう、みたいに思いつつ、結局10ヶ月ぐらいかかりました。

全部を本命だとか、毎日を正念場だとか、全ての予定行動に対して「なんとかなったはず」と考えるとヤバイドツボにはまります。失敗するたびに自虐が始まり、失敗が怖くなり、動きたくなくなってしまいます。


ゆえに、長い眼で、ひたすらに長い眼で見るといいと思います。

「時間がたくさんかかるという前提で動くのが、結果的に一番短い時間でたどり着き、すぐ終わらせようという前提で動くと、結果的に一番長い時間がかかる」のではないかと思います。

焦ってる人がいたら、焦ってる人ほど、あえて長く考えてみてください。人生100年以上あります。5年ニートしてても、あえて6、7年目を覚悟するのもいいんではないでしょうか。それでこそ、逆に早くなるのではと、俺は実体験として思います。


まあ、そういってもどうしても焦るっていうのはあると思いますけどね・・・。ゆったりやれない要因てのが。そこらへんは次でもうちょい語ってみます。

というわけで次。
ニート考察・回想録15「危機感なんぞニートには不要!」


あ、米とかいつでも歓迎しています

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ニート考察・回想録13「ニートって愚痴れないよね」

ニート考察・回想録12「じゃあニートになんていえばいいの」 より


ニート状態ってのは、色々世間に分かってもらえない部分がありますよね。
ぶっちゃけ、毎日が日曜日とか夏休みとか、楽してるみたいに言われますけど
全然そんなことはなく、精神的な疲労は毎日相当なもんです。

色々辛いことありますよね。何が起きてるってわけでもなくても。
むしろ何も起こせないことが辛いというか。


しかし、中でもきついのは、この辛さを正直誰にも話せないことじゃないでしょうか。


人に話すことで軽くなるものってあります。自分ひとりで抱えてると、どんどんマイナスの方向に重くなっていって支えきれなくなってしまう。もしくは自分ひとりが苦労してる気がしてきて、凄い世の中がねたましくなったり、何故分かってくれないんだ、みたいに段々周りに絶望していってしまう。たくさん溜め込んでしまいます。


でも、それを話すことができない。
話すと「うだうだいわずにやれ」ですとか「「やれないのは甘え」ですとかありがたいお言葉が返ってくることは必須。しかし、やれと言われてやれたら苦労しない。過去記事でいくつか触れたように、こっちにも事情があるんです。でも、それは大抵の人は全くお構い無しなんですよね・・・・。

そういうわけで、全然話をする人がいない、ってのがダメ状態だとあるんじゃないかと思います。

「自分は今辛いんだよ」と、言うことすらできない。「悩んでるんだ」と相談することすらできない。全部「甘え」とかなんとかの一言で切り捨てられて、まともにとりあつかってもらえない。
この自分が完全に悪役になったかのような感じ。罪悪感とやるせなさと劣等感と自己嫌悪感がセットで襲ってきて、味方が誰一人いない、というような感覚になったります。


俺、一旦ニートになった人が抜けづらい理由って、ここにもかなり原因があると思います。普通の仕事の悩みとか、友達の悩みとかは、聞いてくれる人いたりするのに、ニートの悩みってのはなぜか全く聞いてくれない。むしろ突き落としすらしてくれます。

きっと周りからみたら「簡単にできることをしてない」ように見えるんでしょうね。だから、ニートに対しては異様に手厳しい。でも、人それぞれ得手不得手があるし、いい時期ダメな時期あるから、簡単にできないことがあっても仕方ないのに。何故か手厳しい。


もし、ニートに対して、周りがもっとその人の聞いてくれるなら、そんな長期化したりせずにすむんじゃないかなあと思ってます。俺はこういう状態になると、家族や友達からとも孤立化しがちになると思うんですけど、最大原因はこの「辛さを誰も共有してくれない」というところじゃないかなと思います。


なんでかねえ・・・・やりたくてやってるんじゃねえんですよ。
やりたいけど、やれねえってのがあるんですよ。
やりたくて、やれる環境にあるのに、やれないってあるんですよ。

デキル人にはまず理解されないこの感覚。
なんで分かってくれないかなあ・・・。

↓とかもねー。

ニート考察・回想録14「ゆったりしてる?いえいえ焦りまくりですよ」 へ続く。他人からは余裕ぶっこいてるようによく見られる。それがニート。


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ニート考察・回想録12「じゃあニートになんていえばいいの」

ニート考察・回想録11「ニートに説教なんて無駄だよ」 の続きです。


前回は、ニートに説教なんて無駄、むしろ害という話をしました。じゃあ何が有効なのって話したいと思います。まあ、結論としては逆をしろってことなんですけどね。


前回のパターンで、言ってる本人が、本人は追い詰めてると気づいてないけど、しっかりニートを追い詰めてるケースがあります。

それは「お前このままだとダメだぞ」といった台詞にさらに期限がついたパターンです。

つまり「お前このまま30なったらどうするんだ」とか「お前もう今動かないと後がないぞ」とか「このまま来年になったら人生終わるぞ?」というような台詞です。

この台詞、本当に百害あって百害しかないので言ってる人がいたら、即刻辞めていただきたい。このままいったらダメだぞ、と脅して危機感持たせようとするのはまあいいとしましょう(これもエネルギー奪ってきますけど)。しかし、万一ですよ?そのままいったらどうするんです?ていうか、そういう風にエネルギー奪い続ければ、大体はまあ、そのまま行きますよ。成功イメージもてないし。

そしたらどうするんです?1年たったらもうアウトだぞといって、1年たったらどういうんです?もうダメだと絶望させるんですか?ていうか、言われたほうは覚えてますのでしっかり絶望の中に居ますよ。どうフォローするんです?フォローできるはずありません。こんなアホらしいアドバイスはありえません。危機感与えて走らせるつもりが、トドメをさしてる所業です。
しかし、こういう言い方するやつはフォローどころか「心を鬼にしていう俺立派」ぐらいにまで考えているので全く打つ手がありません。それどころか、また同じように行って、定期的に絶望感の中につけてくれます。本当に心の底から疲れます。


なんでこんな言葉がでるかっていうと、アドバイスするほうが「その場しのぎ」のアドバイスをしてるからです。だからこんな、先を考えてない台詞が出てくる。「今」しか見ていないんです。「今」を切り抜ければ、全てが解決すると思っている。だからそういうその場しのぎのアドバイスが出てくる。で、無理やり「今」を抜けようと無理やりブラックにつかせたりして、結局辞めたりして、それをまた責める。悪循環です。


これを止めるには、まず「今」切り抜ければなんとかなるという考え自体辞めたほうがいいと思います。正直、人の根っこはまず変わらないし、表層的なものもそうそう一瞬で変われません。時間かかります。行ったり来たりします。そこを無視して「今だけ追い立てればいい」みたいに鞭で叩いても、結局どっかで休憩取るはめになります。


危機感持たせる言い方は辞めましょう。前もいったように、ダメな境遇にあるときは、既に自分を問い詰めまくってます。そして絶望に溢れてます。そんな状態で「このままじゃ無理だぞ」みたいに危機感もたせたって絶望を煽るだけです。投げかける言葉はそうじゃない。


むしろ「大丈夫だよ」といってあげるのが、一番いいんじゃないかなと思います。成功の第一歩は、成功イメージを抱くことです。ダメな時期はそれが完膚なきまでに消え去ってます。可能性なんて0になるはずがないのに、その0じゃないイメージすら抱けない。そして、一度も失敗できない錯覚に陥っている。「成功イメージがなく」同時に「失敗したくない」となったとき、一歩も踏み出せなくなってしまいます。

勿論そんなことはありません。

人生長いです。山あり谷ありです。俺はこのblogで幾度か言ってますけど、人生を非常に長いスパンで考えて欲しいです。うちのじじいは、80超えても、まだ40年ぐらいあるなあと人生計画を立ててます。まだ未熟。まだ人生始まったばかりとか考えてます。ガチであと2回ぐらい人生やり直す気です。流石にそこまでの境地とはいいませんけどw 俺もそこまでは中々いけないしw

前回の意見を繰り返しますが、ダメな時期の人というのは、危機感は無いどころか、ありすぎます。

危機感が絶望感に代わり、成功イメージを塗りつぶしています。ですので、最も必要なのは「貴方にはできる」と成功イメージを持たせることです。信じることが、一番大事だと思います。一度で信じないなら、100回でも1000回でも言うべきです。人生は長いです。何度失敗しても一度成功すればチャラ。だったらできないはずがない。何か助言するなら、危機感を与えるのではなく、自信を与えるのがいいと思いますね。



なお、自分の場合は、それを言ってくれる人が非常に少なかったというか、むしろ冒頭の「心を鬼にしてお前はダメだとわざわざいってくれる人」のほうが多かったので、自分で自分を褒めていました。

うん、重要です。まーどんなにゆーても他人は他人ですからね。俺の内心が分からないのは仕方がないのです。そんでもって、俺が落ち込んだとしても、本当の意味で責任なんて取れません。俺の代わりに人生生きてくれるわけでもないのでね。だから、周りが期待できないなら、自分で自分を褒めましょう。自画自賛こそ、ダメな時期を脱する中核だと思います。


ニート考察・回想録13「ニートって愚痴れないよね」 続く

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