ニート考察51「すぐ他人の迷惑じゃないかを考える」

何かを行動する際に、
「他人にとって迷惑かどうか」が第一優先にくる……。

こういう人が、多いんじゃないかと思ってます。
現在、こう、ニート的な、ダメな時期に入る人は。
とくに真面目な人ね。

または、こういう考え方をする人は、ニート的素質?が
結構高いんじゃないかなと思ってます。

もっとはっきりいうと、人生幸せとは感じてない可能性が高いかもしれない。
他人からみてどんな環境であろうと。


そういう人がいたら、自分はこういいたい。

即刻やめよう」と。


別に反社会的な事を言うつもりではないです。

ただ、それだと幸せにはおそらくなれないだろうなっていうだけ。


以前、ニート考察41「ニートがニート脱出できない一番の理由」に通じる話なんですけど。
幸せを願ってないから、幸せになれないって奴ね。
これ補足があって「一番に」願わないとダメです。

「他人の幸せを考えてから」→「自分の幸せを考える」んではないですよ。
「自分の幸せ」が先にあって、次に「他人の幸せ」です。

「他人の迷惑」を考えるのはいいけど、それが「一番目」に
くるのがダメってことです。
まず、自分が幸せになる行動がなにかを考える、他人にとって
それが迷惑かどうかはその次に考えることです。


もっとぶっちゃけると、自己中になれってことです。


「幸せというのは、分けて与えるものです。
 幸せじゃない人が、分け与えると苦しむよ。
 幸せは、あふれるものだよと。溢れるほど幸せになれば周りを幸せにできる。
 だから、まず自分。何を差し置いても、自分が幸せになりなさい」
……ってまあこれは斉藤一人さんの言葉ですけど(笑

でもまあ、これを見てから、結構ふっきれましたね。
これ3年ぐらい前の話ですけど、それまでは、本当に遠慮してましたから。

例えば↓とか言えませんよ。いや、言えませんでしたよ。
「友達の幸せなんてどうでもいい。自分の幸せが一番だ」とか
「親よりも、自分の幸せが大事」とか。
でも、それ読んで、そうじゃないんだ
自分を一番に考えていいんだって思いました。

今は言えますね。
自分が一番大事です。
まあリアルで宣言すると、表向きの言葉だけとる人もいるので
注意が必要ですけど(笑
ま、内面だけで宣言しとけばいいと思います。

そしたら凄い楽になりましたね。結構ね。
結局、幸せな人って皆自分を優先してると思うんですよ。絶対ね。

いやそうじゃない、例えば自分の命を犠牲にして、子供を守る母の愛とか
あるじゃないかというかもしれませんが……それも結局自分第一なんですよ。
見捨てて生きた時の幸福感より、身を呈して守った時の
「自分の」幸福感が上なんです。そういう意味です。
でも、結果的に「子供のため」になっている。
それで問題ない。そういうことです。
逆だと、例えば不倫相手の子供を「その子のため」に奉仕して育てろ、
みたいなね……。そんなもん常に強要されたら、
育児ノイローゼになっちゃうよ。殺しちゃうかも。
だって母側の幸せがどこにもないし。そしたら結果的に周りも不幸になる。


上の話は極端としても「他人の迷惑を考えてきた人」は少なからず
その傾向があるんじゃないかと思います。


まあ僕も「何があっても他人に迷惑かけるな」とか
「親に迷惑かけるな」とか「親に尽くせ」とか
言われて育てられてきたんでね。そんな感じでしたけど。

やっぱ苦しいですよね。
選択肢の中に「自分の幸福」がない。そら苦しいの当たり前。
そんで、結局自分がどうしたいのか、どこにいけばいいのか、
さっぱり分からなくなるんです
そんでまあ社会人になった途端に「夢はないのか」とかね。
アホらしいですよ。
夢があるようにいつ育てたんだと。
精々、迷惑かけずにひっそりと死ぬことです、みたいな答えでも
期待してるんですかね。

他人に迷惑かけろっていうんではないですよ。
ただ、それが一番ではないっていうだけです。
実践者としていいますが、逆にそれが一番うまくいくと思いますよ。
あえて自己中になる勇気を。

一番は、自分の幸福。
それを、何がなんでも目指すこと。それが一番大事だし、
結果的に周りを一番幸せにできる選択肢だと思いますね。
子を守る母のごとく。


もう一度いいますけど。
目指してください。
「自分を一番に」。

何があっても。


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ニート考察50「自分で自分の価値に気付けない」

良いところがない人間なんて、いないよ。
……ただし、自分を除いて。


さて!自分、ニートblogとか、ニート関連の記事もそこそこ回るんですが、
だいぶ前、あるニートの方にこんな方がいました。

そのかたはですね、自分と同じように、
せどり(中古本の転売)をされてました。
そして、なんと月+8万の利益をだしていました。
これ、自分が全然稼げてないころにみたんですよ。
月+数万程度の時に。
で、マジですげーな!って思ったんですけど。

でも、その人の記事とか、コメント欄とか見ると。
例えば、凄いですね!という記事をうけても、
「こんなもんたいしたことない……。特技でも何でもない」
となったり
「タバコやパチンコに消える。最悪だ」
とか言うわけですよ。


この「たいしたことない」というのも謙遜……じゃなくて
文脈的に、ガチ自虐でいってるんですね。
本気でそう思ってるんですよ。
1回や2回じゃなく、何回も凄いといわれてもそんな感じで
記事からもコメントからもネガティブオーラでまくりでしたから、
やっぱり謙遜ではないんですね。本音っぽい。


でも、俺からみたら、本当に凄いんですよ。
しかもその人、有料教材なしの、完全独学でその成果だったんですね。
これはガチでとんでもないんです。
明らかに何かしらの才能、能力がある。
だって、4万も5万も払って、1万も稼げない人山ほどいます。
自分もその頃、全然だったから、+8万ってのが本当に凄くみえて。
しかもひょいと行ってすぐ稼げるみたいな口ぶりだし。

なのに、それなのに、根っこは、自分がガチニートだった時のように
本当に自虐だらけなんですね。全く価値がないと思ってる。


これ、就活の時、ジョブクラブ組んだ時も同じようなことがあって
自己紹介の授業なんですけど、他のメンバーの履歴とかからなんとか
いいところを探そうって授業があったんですね。
「趣味なんですか?」とか「このバイトでどこ担当?」とか
「休んでたとき例えば何してた」とか質問攻めにして、
その人をえぐってくわけです。

たらですねー。まあ、出てくるんですよ。どんなになさそうな人でも。
意外に壮絶な人生送ってたりね。妙なスキルがあったり。
で、このジョブクラブって、就職難に悩む人ですから、若干ニートっぽい
人が多いんですね。簡単にいうと、ネガティブってことです。
で、その授業が終わったあとの彼らの感想がまた笑えるんですが。
いや、笑えないかな。

ほぼ全員が、周りはすげーな(ただし自分以外)、とか
思ってるわけなんですよ。この奇妙さがわかりますかね。

おかしいでしょ?全員が客観的に判断できてるならこれはありえない。
自分が自分に思う価値と、他人が自分に思う価値にギャップがあるから
こういう事が起きるんです。

で、思ったんですけど、ニートっていうのは……
ダメな時期から抜け出しにくい人、ダメだと思い込んでる人は、
価値がない人ではないんですよ。
価値を、見つけられない人だと思うんですね。

ちょうど、8万円も自力で稼いでるのに、自分をクズだと呼ばわりする感じで。
たとえ、5000円であろうが、自力で稼ぐこと自体、出来ない人には
一切できませんから、できない人からは非常にうらやましがられる力を持ってるのに。
自虐してしまう。
他人からみたら、すごいなと思われるものがあるのに、価値がないと切り捨ててしまう。


いつこういうふうになったのか。
もちろん、自分からなったとは俺は思わない。

好きでなってたまるか

自分の価値がないと、思い込まされてきたか、
思い込まないとやってられん経験をしてきたか……。
どっちかでしょう。

そこはまた語りたいと思います。


ただ、自分に価値がないと、そういう前に

そう言いそうになったら、まだ自覚してないと、
そうとでも言い換えて欲しいですね。
個人的には、誰にでも必ずあると思ってますんで。



冒頭の、2行。
ダメな時期って、こう考えたりすると思いますけど。
……皆がこう思ってたりするとしたら、
本当におかしな図だと思いませんか。


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ニート考察49「何度も何度も同じことを繰り返す」

さて、6月ですが。


今月は、仕事から開放されて、副業に超専念しまくりです!
まあ、1日2時間程度の副業でも、6万稼げた自分ですから。
それ以上、1日8時間でも10時間でも使えるとなれば!
まあ当然、20万とかあっさりいってもおかしくないですよ。
そりゃね。
やりたい事たくさんあったし、稼ぐためにチャレンジしたいこと
たくさんあって、たくさんチャレンジして、そして
きっちり成果をだしましたよ。
6月はもう副業に勉強に時間さきまくりです!

生活サイクルもですね。
夜2時にねて、朝8時に起きてといいペースを守り
大体昼までせどりで仕入れして、昼過ぎからは
blogとかやったり、せどりとかPPCの勉強に手をつけて
実力アップにはげみつつ、リサーチしたりとか
そんなんで夜まで過ごして、まあ勉強三昧ですね。
人生の勝負どころなんで。そんなんで色々忙しいです。

・・・・・・という予定だったんですけどねー。

ええ。上記のは脳内的理想生活です。
妄想です。
5月末時点での予定です。


いや、がんばってますよ?
それなりに。

実際は。

夜2時には寝たいなあと思いつつ、
午前4時半とかあまつさえ午前5時6時まで起きてたり、
昼活動しなきゃと思いつつ、
夕方3時~7時あたりを完全に昼寝してたり、
勉強しないと、と思いつつ、なんとなくだらだらネットしたり、
新しいことガンガン挑戦しないと
と思いつつ、やりたい10のうち
1つぐらいしかやってなかったり。
そんで、気づいたらあっという間に1ヶ月が経過……ッ!

うーん、仕事してたころは毎日4時間半睡眠で
時間きっちりしてたんですが……。
がむしゃらに12時間ぐらい労働してたんですけどね。

いやあ……。

人ってこんなもんだよね。

ニート時代を思い出しますわ。
ニートのとき、こんなんでしたから。
いや、今もニートっつやニートなんですけど。

別に言い訳するわけではなくて。

こういう、理想を目指し、挫折する。
しかも、それを繰り返す。
その、一度の失敗ならいいんですけど。
繰り返すってところに、自己嫌悪するんですよねー

なんか、全く学習能力が無い感じで。

出来ないって思ってることが出来ないのは、別にいいんですけど
出来るはず!って思って計画たてたことが、できないと
かなり自己嫌悪になりますよね。


こういう時の考え方としては、そもそも理想値と比べないことですね。


理想ではこういう予定をこなし、こういう人物になってたり
成長してたりするはずだった。やってるはずだった。
ここに拘ると、後悔と反省だけで次の日も終わってしまうので。
でも出来なかった、ああ、なんて俺はダメ人間なんだ。
とかで。そしてそう思いつつ布団にくるまって寝るみたいな。

それはドツボなんで。

そうじゃないんですよね。
理想は、あくまで理想なんです。
理論値?みたいなもの。
ゲームやってる人ならTASといったほうが通じるかも。
あれとおんなじですよ。

結局、理想値を自分のベストだと思うから、苦しいんで。
違うんですよね。
たとえ、客観的に10点だろうが30点だろうが、
自分にとっては、今ここにある現状がベストパフォーマンスなんですよ。

他人からは、どう怠惰にみえようとね。
10点でも、それは自分にとっての100点で。
その100点を、次は20点にしようっていうのが、
挫折しない考え方だと思います。
ま、20点になる過程で、また5点にもどったりもしますけど。

でも、それも含めて、ベストなので。

どんなヘボイ結果でも、ふがいなくとも、
それが自分なりに頑張ったんだ!って、あると思います。
それを自分が認めてあげることも大事だと思う。

理想を追い求めるのは大事ですけど。
理想と比べないのも大事です。
軽く矛盾してますけどね。

あれは、理論値です。
そう考えるのがいいと思います。
理論値は、目指すものではありますよね?
でも、理論値と比べても意味がないってのも
分かると思います。


何度も何度も理想と比べて挫折するときは、
上みたいに考えてみてくださいなと。


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ニート考察48「ニートは将来をどう考えるべきか」

将来ってどう考えてる?


メールでの相談でも聞かれるし、リアルでも色々言われるし、
そのたびに、自分なりの展望を話すんですが、
まあ色々言われるんですよね。

まあ大体は
「お前は甘い」という一言を返されますけど。

世の中をなめるなとか、展望が抽象的だとか、
そんなんで大丈夫かとか。

でも、そういう意見結構ガン無視してきました。
むしろ、真面目に聞いてる間のほうが、脱出出来ないテンションだった気がする。


自分は思うんですけどね。

将来って、ひたすらに
「楽観的に考える」のが正解じゃないかと思うんですよ。


現状はまあ、それなりに客観的に見ますよ。
空白6年あるとかね。でもそういうのはどうでもいいです。


ただ、ひたすらに、将来は良い、良くなってると信じ込む。

根拠?いらんくない?
良くする方法?しらないよ。
時代が悪いとか。どうでもよさじ。


とにかく、10年後は幸せになってるさという前提にたつ感じ。

方法論なんて別に今しらなくてもいいと思う。そのうち見つかるよぐらいで。

そんで、親や周囲への恩返しとかも、その5年後10年後にすればよいという感じで。
全てを未来に丸投げする。


自分がこういう考え方をしたのは、えっと、前のさらに前の会社に入る半年ぐらい
前からですけど、正解だったと思ってます。

それでやっと、なんか生きてるだけで迷惑かけてるような罪悪感とか。
そういうのから逃れられた気がします。


幸せになる!って宣言すると、

周りの人って、方法論を同時に提示しない限り、納得しないんですよね。
で、そういうのに囲まれてると「方法が分からない限り、目指してはいけない」
というような概念に取り込まれてしまうと思う。

でも、そんなのいってたら、不幸な人は不幸になる方法しかしらないんだから
いつまでたっても不幸なままじゃないすか。
幸せになる方法を見つけない限り、幸せを目指してはいけないとしたら、
なんか「不幸になると宣言しろ」と言われてるも同然だと思う。


世の中の空気としては、方法論言わないと、
幸せ目指しちゃいけないみたいな空気あるけれど。
勝算がなければ動くな、みたいな空気あるけれど。

その空気こそが、逆にニートをニートに追い詰めてるんじゃないかと
思わずにいられない。


だって、ろくに何も経験してないんだから。
見つけろったって、見つけられるわけがない。


幸せを目指せない人っていうのは、こういう空気に呑まれてるがゆえに
目指せない人も多いんじゃないかと。



だからもう、最近は「将来のこと考えてるの?」といわれても
「10年後は大成功してると思う」とか
「考えてるよ。結構いい感じにだよ」とか返してます。
「根拠は?」とか聞かれても無視か、「ないよ」とそのまま言います。
大抵の場合絶句するか、何もいってこなくなりますが……。

でも、下手に貧弱な経験や知恵を振り絞って答えても、どうせ
「如何にお前が失敗するか」を聞かされるだけなんで、
いう必要ないと思うんですよね。
別に、自分のかわりに自分でもできる、自分にぴったりの成功案を
出してくれるわけでもないんでね。
「否定はする、しかし代案は出さない」。そんな意見はシカトです。


だったらもう、最初から方法論なんて行き当たりばったりに
まかせておいて、ただ、成功するとだけ信じてりゃいいと思うんですよね。

もうひたすら楽観的に。絶対に最後にはうまく行くと。
5年後ぐらいにはもう大爆笑してると。



ちなみに、この無根拠であろうと「必ず将来がよくなると信じる」のは
優秀なリーダーが必ず共通して持ってる資質らしいですよ。
某アメリカな研究者によると。
楽観論を否定する人は、遅れてるといえるかもしれない。

根拠ありの失敗論より、根拠なしの成功論に
人は活路を見出し、ついていくというわけです。



現状は客観的に、将来はひたすら楽観的に。

そういうのが、いいんじゃないかなーと思いますよ。



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ニート考察47「当たり前は当たり前じゃないのが当たり前」

当たり前って言葉が、苦手です



この言葉、よく使われますけど。
自分の場合は、この言葉を人に使うことは滅多にありません。

はっきりいうと、嫌いです。

どうも都合よく使われている気がする。


よくありますよね。

「遅刻しないのが当たり前」だの。
「ホウレンソウきちっとやるのが当たり前」だの。
「挨拶をしっかりするのが当たり前」だの。
「仕事は誠意をもってやるのが当たり前」だの。

でも、自分はこのLVですら、全然当たり前じゃないと思ってます。

当たり前当たり前っていうけど。

そりゃあ、1回だけなら、まあできますよ。
別に難度の高いものなんてありません。

でも、当たり前とされてることを、ずっとやり続けてる奴って
実際どんだけいるの?と。

ずっと疑問に思ってたことなんですよね、これは。
ニート時代から、こういう「当たり前のこと」を要求されて。
で、そういう「当たり前のことができない」から
お前はダメなんだみたいにクサされて。

でも、その色々言われる裏で、ずっと思ってたんです。
それ、本当に当たり前なのか?と。

で、会社をいくつか渡り歩いて、曲がりなりにも社会人として働いてみて
思ったんですよ。

やっぱり、嘘っぱちだと。

まあ、無理もないですけど。
遅刻しないの当たり前、そのとおり。じゃあ、実際過去10年……いや、1年でもいいから、
一度も時間の約束に遅れなかった人がどんだけいる?
挨拶を必ずする、1年以内で、挨拶する機会にしなかった、
そういう経験がない人がどれだけいる?
ミスのチェック、うっかりミスを絶対しない人がどれだけいる?
分からない事を全部聞いてきました、そんな人がどれだけいる?
相手を思いやる、それを完全に実行してきた人なんてどれだけいる?
物事を準備して取り掛かる、全てにおいて行える人がどれだけいる?
そして、上記に加え、当たり前とされてること他全てを
全部行える人が、どれだけいる?

どれだけも何も、いない。0。存在するわけがない。



また、もう一つ重要なんですけど、人はそれぞれ個性がありますよね。

A君にとって当たり前にできることが、Bさんにとってもそうだとは限らない。
Bさんにとって当たり前のことが、A君にもそうだとは限らない。

人と出会った時、すこしずつじっくり仲良くなるのが当たり前と言う人もいれば
本音でズバズバ斬り込んでいくのが当たり前って人もいるし。
そもそも、仲良くなる事自体を望む事が、当たり前じゃない人もいるわけで。

当たり前の押し付けをする人は、これが無いものとして考えてると思います。
人類皆平等。能力皆公平。

なワケないですけどね。


それらを総合したら、当たり前という言葉にどんだけの意味があるのか。


どんな低LVに見えようとも、どんなに簡単に見えようとも、
絶対、出来ない人は出てくるんですよ
もしくは、どんな人であれ、他の人には超簡単なのに、その人にはできない「何か」が
誰しもにあると言ってもいい。


故に、できて当たり前だから、できない自分を責める・・・・・
もしくは、責める人がいて、責められる。


そういうのは、気にしなくていいんじゃないかなと思います。


当たり前当たり前を押し付ける人に限って、
「人それぞれ」という当たり前を理解してないんだから。





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ニート考察46「流石にそんな人生は嫌だ」

嫌な奴がいます。

いたとします。


そいつのことを、考えただけで、もう嫌な気分になって
怒りとか恨みとかうんざりとか不愉快とか、まあいろんな
負の感情に支配されるような人が。

いなけりゃいないで、いいんですけど。

僕らみたいなニートが、人と関わると、
人の無神経さって本当によく見えるので
いる人のほうが多いんじゃないんでしょうか。


でも、ここで、悪口を言うモードになるのは推奨しません。
幾度かいってきた、あら探しモードにはいって、
人のあら捜ししてるのが、いつのまにか、自分への粗探しとなり
それはネガティブな感情となり跳ね返ってきて、
結局前に進めなくなるから。


そうは言っても、思い浮かぶときはあるよねと。


でも、それに囚われてると、どんどんネガティブ思考になってしまう。

そういう時、どういうふうに自制するか。
どう前向きに考えるかってとこで、自分はこう考えてました。


今、自分はあの、やな感じの人の事を考えている……。
欠点なんて、上げようと思えばいくらでもあげれるし、
愚痴ろうと思えばいくらでも愚痴れるけれど……。

しかし、そんなの、もったいなくないだろうか?

何がと言えば。

考える時間自体が。

例えば、過去の記憶、過去の嫌な奴、今の嫌な奴に関してずっと
悩まされたり、押しつぶされたりしてる。
そればっか考えて、頭から離れない。

しかし、例えば明日死んだとしよう。いや、明日でなくてもいいが。
このようなペースでずっと生きて、そして死んだとしよう。

そしたら、生きていた時間、そのうち色々考えた時間が何千何万時間あるかしらないが
その大部分を嫌な奴のことばっかり思い浮かべてた人生だった、
なんてのは流石に嫌じゃないか?

それぐらいなら、好きな人とかのことを考えてた方が良い。
なんだって、嫌いな奴について考える時間を、
好きな人について考える時間より、多く割かなければいけないんだ。
なんで、嫌なことを想像する時間を、楽しいことを想像する時間より、
多めにとらないといけないんだ。

最悪でも、やなヤツについて考える時間は、5分未満であるべきだろう。
何が悲しくて、好きな人を考える事より時間を割り振らなくちゃいけないんだ。
死んだ時に統計とって、貴方の思考時間の9割は、
やなヤツのことばっか考えてました、好きな人について考えた時間は1割です。
とか流石に嫌すぎる。
1日のうち、嫌な上司について考えてた時間が9割です。恋人については1割ですとか。
その比率はおかしい。逆であるべき
いや、自分は恋人いないけどw 

考えるなとは言わない。ふっとフラッシュバックすることかって自分もあるし。
ただ、考え続けないようにはしてただけ。
やなこと考えてる時間の統計が、好きなこと考えてる時間に勝つなんて・・・・
想像の世界ぐらいは自分の意思で選びたい。

やなヤツのこと、やな出来事、思い出したり、想像しそうになったら
そんな考えだけで人生終わっていいのか?って問いかけてた。
いや、それよりは、好きな事考えてた方が良い。

ネガティブ思考から、完全に抜け出したかなっていうのに
2年以上かかったけど、そういうような細かいところでも
色々考え方かえてみてました。


やな人の事ばっか、考えてて、好きな人、事を考えてない人。
敢えて言おう。
その比率はおかしい。

そして、これやってると、嫌な人が、だんだん「どうでもいい」人に
なってきますよ。なんせ、考えませんからね。


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ニート考察45「ダメな身内との付き合い方2」

前回の続きです。

親や身内が、貴方の前へ進むエネルギーを刈り取りに来る場合、どうするか。

基本的に、2パターンあります。

親などの根本的なパターンによるんですけど。

ただ、その前に、どっちも超大前提となる方針があります。

これが前提にあるからこその、行動指針というやつが。


それは、身内とは相性が悪くて当たり前ってことです。


身内だから相性いいんじゃなく、身内とは元々相性が悪いもの。
修行のために配置されてる。
そんぐらいに考えておいた方が気が楽ですよ。

だから、身内だから分かってもらえるはずとか、
身内だから、分かり合えるはずだとか、
身内だから、和気あいあいに必ずなるはずだとか。

そういう幻想を捨てるといいと思う。
期待しすぎるからつかれるんですよ。
親といえども人。兄弟といえども他人。
合う合わない当然あります。
そら合う人もいるだろうけど、合わないのかっているよ。
しょうがないよそれは。
でも、最初からそういうもんって思えば気も楽です。

自分も、最初期待しすぎて疲れましたけど、
そういうもんだと割りきってからは結構楽になりました。
同時に、色々求めすぎてたかなと。誰しも完璧でいられないのに。

本当に。いわれれば、言われるほどに、動けなくなっていきました。
声をシャットアウトして、気にしなくなってようやく動けるようになったと思う。
危機感で動くなんて嘘でした。
自信を自分で取り戻さないと。そこからです。
そのために、心を折る人は、なんか対処しないと。


それで、対処ですが。
方法としては、2パターンあります。相手のタイプで変わります。


まず、罵倒してくるタイプ。
根本にも貴方への愛情を、感じ取れないタイプ。

これは素直に距離とった方がいいです。
同居してようが、してまいが。
部屋にこもってヒキコモリと呼ばれようが、嫌な奴にはあいにいかない。

極端な限りさけ、回避不能になったら、余りはりあわないことです。
滝に打たれるもんだとおもって、嵐が過ぎるのをまつ。
このタイプに、気をもんだり気を使いすぎても無駄です。

こっちがいくら傷つこうとも、あっちは微塵も気にしてないです。
こっちが傷ついてねれなくても、あっちは爆睡です。
気にするだけアホらしいというもんじゃないですか。

そんで、このタイプは大まかにいって、平気で手のひらすぐ返します。
例えば、こっちがうまくいってないときは平気で罵倒し、
うまく行くと、立派になったなとか、前からやると思ってたとか普通に言います。
だから、今罵倒されてても余計気にするだけ無駄。
アホらしい。

この手はまともに相手しないのが一番で、無駄に気をつかったり
心情をおもんばかる必要ないです。
成功すれば、全部ひっくり返しますから。

如何に最低限しか会わずにすむか。そこだけ考えておきましょう。
衝突にエネルギー使うのは無駄です。


もうひとつは、心配しまくってくるタイプです
本人はその気はないけど、前回話したようなパターンで心をエグリにくる。
信頼してないよー、お前はダメな奴だよと言外にいってくる。

でも、こっちはまだ、愛情を感じ取れる場合があるんで。
その場合は、褒め倒しが有効だと思う。

例えば「気にかけてくれてありがとう」といってしまうとか。
「でも、心配だっていうより、大丈夫って言ってくれるほうが嬉しいかな」とか。
「頑張れば俺でも就職できるとおもう?」とか振ってみるとか。
誘い受けですね。
あえて、そのまま答えると直接傷つけてしまう質問を言う。

そうするとこのタイプは「できるとおもう」とか
肯定的に返ってくる可能性高いんで。
そしたら「そういう風に言ってくれると嬉しい」とか「やる気でる」とか
どんどん誘い受けで引き出していくといいです。
そういう風に「前向きな言い方を褒める」とか「
気にかけてくれてることを褒める」事で
あっちもだんだん言い方を変えてくると思います。

万一「出来ないと思う」とかいってきたら
「親にも信用されないんじゃ無理に決まってるよね」とか極度の自虐を
いってみれば、否定して肯定的セリフをいってくれると思います。普通なら。
そこに「そういってくれてありがとう」とかを被せて、発言を誘導する。

基本的に、こっちを憎んでるとか邪魔に思ってるとかじゃなければ
褒め倒しとかでいいですよ。自分としても気持ちイイし。
曲がりなりにも愛情を感じ取れるかどうか。
そこが鍵となります。取れるなら褒め倒しです。

あとはまあ、自分自身でももちろん褒めることですね。

とにかく、ガチンコで正面からぶつかって、相手を変えよう、なんて
思うと不幸の連鎖が始まるんで。
余り期待せずに、それでいて諦めきらずに、がいいと思います。


とにかく、自分の精神は自分でなんとかしないとね。
本当、家族がエネルギークラッシャーだと真面目に辛いので・・・・・・。

無理しないこと。自分を最優先で考える事。
それが、結果的に周りのためにもつながると思いますねー。


ちなみにですが。自分は前者が親戚で。後者が親でした。
憎しみを育てぶつけずに、褒め倒して良かったなーと今本当に思います。
今は良好な関係だと思いますよ。客観的に見てもね。
お互いに褒めあうって気分いいです。罵倒しあうよりはね。

是非やってみて下さい。
身内からエネルギーを奪われる生活からの脱却です。

ま、でも、気長にね。
ヵ月単位で時間かかるとはおもうんで……。


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ニート考察44「ダメな身内との付き合い方」

お前がゆーな!

って感じのタイトルですけどもw
ダメなのはどっちだよって聞こえてきそうw

いやいや、実際大事ですよ。身内との付き合い方はね。
ダメであろうとなかろうとね。

まあ、ニート化したりダメ人間化した原因って色々あるとおもうんですが。
身内に原因がない場合ってのは、まあ無いと思ってるんでね。

何度か言ってるように、ニート的な人は、完璧主義が多かったり。
劣等感が強かったり。自分に自信がなかったりします。
でも、真面目で誠実みたいな。人に迷惑をかけることは恐れたり。

そういう性格って、自分だけで培われたかっていうと、そうじゃない。
家庭です。親。育てた人。
特に幼少期にそういうのって刷り込まれるんですよね。

大体において、子どもが完璧主義者だったら親もそうです。
失敗だけにフォーカスされたりして育てられるとそーなる。
失敗を恐れる。挑戦をしない。
自信がないのは、褒められたりした記憶がたいていない。

別にだから親を恨めとかいう話ではなくて。
何らかの対処をしないといけないという話です。


あんまり考えたくない話題ですか?
まあ、恐れ多いかもしれないですね。
養ってもらってる身でね。親をどうこういうなんてね。

罪悪感もひとしおだと思います。真面目な人ほどね。
自分も、正直あまり突き詰めたい話題ではないです。
なんか、恩知らずみたいな。そういう気がして。
でも、重要なんですよやっぱり。

だいたいね、何かしらの余り良くない思い出あったりしますし。
ひどいと現在進行形でありますし。


自分の場合は、別に両親に悪意を向けられた記憶はないです。
客観的に見て、どっちかというと甘く育てられたと思います。
でも、うちの親は共働きで、帰り遅かったです。
そんな中、どっちかがすごくイラついてると、喧嘩になったりするんですね。
自分はそういうのを見るのが凄い嫌で。
すっごいすっごい嫌で。巻き込まれるのも嫌で。
「あ、この雰囲気ヤバイな」と思う度に、自分の部屋に逃げて寝てました。

「嫌なものからは逃げる」という習性はこの時に習得したと思いますw
「失敗は隠す」とかもね。何か失敗して、正直にいうと怒られるんで。
なかった事にしたいんですよ。ありとあらゆるマイナスなものを。
そういうのが積み重なって、中学に不登校になり。
就活で自信を粉砕されたあと、現実逃避するように日々を過ごしてた気もしますね。
見たくなかったんですよ。マイナスを提示するあらゆる情報をね。
最も、今もそうですけど。
それはやっぱり、幼少期に培われたものでしょうね。

話がそれました。
そんでですね、親から受ける影響ですけど。
自分に自信が無い人で、親とかから罵倒されてるってのはまだわかりやすいんです。
使えないだの、ろくでなしだの、クズだのなんだの。
そら自信もなくなるよねと。

でも、もう一個あります。
親からは愛されてるよって自分でいう人のパターン。
なのに、自分に自信がない人のパターン。

こういう人は。

親から「心配」はたくさんされても
「信頼」はされてません。


自分はどっちかというとこのタイプかな。
まあ、罵倒のほうは別の筋であったんですけどね。祖父母のほうで。

たくさん心配されるってのはどういう意味か。
「貴方が心配で心配で」というのはどういう意味か。

それは
「素のあなたは役に立たない」だとか。「素のあなたは迷惑な存在だ」とか
「貴方の成長性に期待できない」とか、とにかくそういう意味あいなんです。

表向きは、その人のためってなってるけど、
奥底では、めっちゃ傷つきまくります。
これいわれてる本人も気付いてない場合多いんですけど。
「自分のためを思って言ってくれてるんだから・・・」とか。
「心配されるってことは、愛されてる証拠だから・・・」とか。

そのわりにはなんか、ため息でも聞こえてきそうな言い方ですね!
となりますけど。
言われる度に、自信喪失してるんじゃないんですかね。
大体、親が心配するような子供が、
世間に対してどう自信をもてって言うのか。
親に削られた精神力をどっかで回復してこいってか。
じゃあ世間でも削られてきたら、どこで回復すればいいんだよ。
自分の部屋、空間ぐらいしかないじゃないか。

もっと進むと「お前ちゃんと私ら(親)を養ってくれるのか」とか。
もはや子供自身の心配ではないですね。自分の心配です。
別に言いたきゃ言ってもいいですが、ただこの発言に
愛や信頼的なものを感じれたらたいしたもんですね。
別に自分がどうなろうと、札束さえあればいいんじゃないですかね。


心配・・・これはいろんな場所で不幸を撒き散らします。
一見、+の要素に見えるのがタチ悪い。
親が子にいう言葉だけに限らず、自分自身で自分の将来が心配だ。
うまく行くか心配だ。何もかもが心配だ。

これは正直、自信や信頼の対義語といってもいいぐらいの危険な言葉です。
あればあるほどいいってもんじゃないですよ。危機感と一緒でね。
ありすぎるぐらいなら0の方がマシ。そういうものです。
自分の将来を心配してる、自信満々な人っていますか?
いないっすよね。自信をもつには邪魔なんですよ。
で、いくら自信を持とうとしても、周りが「心配で心配で」とか
言ってきたら、影響されて心配しちゃいますよね。そしたら、自信なんてもてない。
自信もてなかったら、行動なんて出来ない。


心配してくる親が、必ずしも自分にとって
ありがたい存在じゃないってことわかってもらえたでしょうか。


ただ、親に原因があろうと、親に責任を求めるっていう話ではないですからね。
そんなもん求めてもどうしようもないんで無益です。
問題は今もその環境にある場合、これからどうするか。


実際どう対応するのって話ですけど。


長くなったんで、次に回します。



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ニート考察43「ニートでも絶対成功する法則」

絶対に成功する法則とは何か?


前回の続きですけど。

「慢性的な死地」が失敗条件ということに関し
別の側面からみていきます。
失敗条件がそれだとするならば、成功条件とは何か?
絶対に成功出来る方法とは?

っていうかそんなもんあんのか?

あります。


それはね。


成功するまで挑戦し続ける事」です。


当たり前?まあそーっすね。
で、よく言われる事です。成功者は皆こういいますよね。


諦めるから、失敗するんだと。
夢が逃げていくんじゃない、自分が夢から逃げたんだと。
成功するまでやるんだ。努力するんだ。
成功前にやめちまった努力なんて、努力じゃないとか。

よくある名言ですね。
心に突き刺さった人もいるんじゃないんでしょうか。
昔の自分とかw

でも、今の自分は、そんな風に思う必要ないと思います。
これ普通に「間違ってる」意見だと思っています。


いや、正確には「足りない」というべきかな。
これは、成功者が成功した論理ですよ。
敗北者が成功した論理じゃない。

もう一つ、この条件を達成するために重要な条件がある。
どうしても欠かせない条件が。


それは「失敗出来る環境にあること」です。


……だってそうでしょう。

例えば、エジソンは電球の発明に際し、1万回失敗しました。
これが「1回でも失敗したら殺す」といわれてたら、
「背水の陣」でアイデアがキラメキ成功していたか?

……全く思えませんね。

2ch。(一応)匿名です。言いたい放題です。
どんな面白くないこといっても全ては闇の中。
でも、その中に当たりが潜んでいる。
これが住所公開の実名だったら?面白い掲示板になってたでしょうか?

……なると思えませんね。

地上50mのビルの間に渡された平均台。
地上50cmの平均台と同じように渡れますか?

……無理ですね

自転車に乗る時に、一度でも転んだら死ね、といわれる人と
何度転んでもいい、怪我しないように支えるから安心して!といわれる人
どっちが先に自転車乗れるようになるでしょうか?

……そもそも先にという以前に、前者は乗れるようになるのか?


「失敗できる」っていうのは非常に重要です。
失敗しても、金銭や時間、精神的リスクがないということ。
その環境とセットでこそ「成功するまでチャレンジする」ことが出来る。

逆にいうと。
「失敗出来ない」環境で「成功するまでチャレンジ」は不可能です。
「追い詰められ失敗出来ない環境でこそ、人は真の力を発揮する」なんて
大嘘ですよ。単にドラマチックなだけです。
もっというと、滅多に起きないからドラマチック。
前回の背水の陣でも説明しましたけどね。

これは本当に何度言っても言い足りない
以前エントリで、ニートには完璧主義者が多いって書きましたけど、
これこそがその理由なんですよ。
完璧主義は「失敗できない」と自分に枷をつけているから、動けない。

まあ、最も、枷をつけてるというより、つけられてる人のほうが多いでしょうが……。
完璧主義者は、大体育てた周りも完璧主義者なので。


この意見は、世間一般の人の意見とは真逆でしょうね。
大抵の人は「追い詰めてこそ力が発揮できる」と思ってます。

でも、そんなのは、まともに受けてはダメっす。
自分は、そういうふうに人生を考えてる間、ずっとニートでネガティブで居続けました。
でも、そうじゃなくて。
「失敗してもいいんだ」「きっと何度でもやり直せる」と考えだしてから
前に進めるようになりました。
きっと、こう考えなかったら、ずっと今もニートしてたと思います。

だから、世間がどういおうと、追い詰めれば真の力が的意見には反論します。
そんな考えこそ、追い詰められたことがない人の考えだとぐらいに思ってます。
職場でも結構いう人いましたけどね。そういう感じで。
でも、その考えだったら、そもそも仕事に行ける状態自体になっていない。


ニートっぽくダメな環境に突入してる人は、
こういう意見におされ、非常に苦しい人が多いと思います。
慢性的に死地にいる、と前回いったのはこういう意味合いです。
「失敗を許されない」という意味でね。
大体において、周りは「失敗していいよ」なんて言ってくれないんですよ。

「いつになったら働くんだ」
「いつまで落ち続けるんだ」
「○○日(ヶ月)以内に就職しろ。約束しろ。誓え」
「一刻も早く働け」
「もうあとがないぞ」
「辞めたら次はないぞ」

失敗を許されない。
それが、失敗を誘発する。
焦りが、不安が、恐怖が、行動力を奪ってくんです。

ああ、ビルの上の平均台にのって
全力疾走出来る奴がいたらたいしたもんですよ。

それを要求されてるんですけどね。
だから余計に落ちるんです。

そして、その追い詰めすぎたらどうなるか。

「動けない」

こうなります。

それをみて「もっと追い詰めないと」とおもって
どんどん高いところの台を用意する。
もっと動けなくなる。

悪循環。

抜け出せない。

それじゃダメなんですよ。
高さをどんどん落とさないと。

人生は、1年、いや3ヶ月あれば激変するには十分です。
それは、何歳であろうが変わりない。

自分を無駄に追い込まないで欲しい。
それは、本当に無駄に終わるだろうから。


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ニート考察42「ダメ軍師は背水の陣が大好き」

今回はどっちかというと、誰かを脱ニートさせようと
努力してる人に向けたいのですが。

映画か漫画の見すぎではなかろうか

この戦術が好きな人に、教え上手、育て上手は
まず存在しないんじゃないかなー。

何度もいいますけどね、危機感はありすぎても害なんですよ。
そんなことはない!ペナルティがきついほど人は動くんだ!とか
言う人もいますけど。「背水の陣」が大好きな人がね。

でもね、これ勘違いしてる人が非常に多い。
「背水の陣」においては本当に誤解が多いです。
好きな人ほど、だいたい誤解してる。エピソードも知らない。

そんなことない、自分は背水の陣を知ってるという人、おさらいです。

~歴史のお勉強~
 そもそもこの元となった事例は、中国は韓信という超名軍師が
 2万の軍勢で、城にこもった20万の敵に対しとった策で。
 あえて敵の目の前で一戦し、わざと敗走し、
 水を背にし逃げられない状況を作りました。
 それを見た敵兵は「相手は兵の理も知らん馬鹿だw」と一戦して
 勝った余韻と数の差もあり、手柄目当てに大挙して追撃に入ってきました。
 「城を守る兵」までもがね。もう絶対に勝てるとふんで。
 逃げれない状況で戦うのは愚策……
 常識だったわけです。
 しかし、この時韓信は実は兵を二手に分けていました
 死に物狂いで戦う1万の兵に、20万の敵軍がじっくりと戦っている最中、
 最初に分けておいた兵が、敵のがら空きとなった城を強襲、占拠します。
 そして、大量の旗をたたせ、見た目以上の巨大な軍勢に見せかけました。
 それを見た敵軍は
 「あんなに大軍があったのか」「本拠地が取られた」「その大軍に挟み撃ち……」など
 パニックをおこし、逃亡したりして、そこを攻め立てられ敗北します。
 これが有名な「背水の陣」です。
~歴史のお勉強・おわり~

つまり、死地に陥れ奮起させる策というより、油断させおびき寄せるための
陽動策」の意味合いが強い策だったのですよ。
そもそも壊滅させてないしね。敵の情報を混乱させ中枢を打ち破ったのです。

「背水の陣」は死地に赴くことにより、少数で大軍を正面衝突から
ガチ壊滅させた策である、と思ってる人は意外に多いんじゃないんでしょうか。

してませんからね

そもそも正面から戦うための策じゃないですし。戦わないための策ですし。
伏兵、援軍ありきの策ですし。壊滅ではなく、敗走させるのが目的の策です。
壊滅目的で全軍を水辺におき、正面からぶつかったら100%負けてるでしょう。
そもそも前提として「逃げられない状況で戦うのはバカ」という
常識の上に成り立つ、油断を招く餌の布陣だったわけです。
死力の力を利用したのも事実ですが、あくまで一時的なものであること。
そして、その一時的な辛抱の先に勝利の策もあってこその状況です。


なぜ「逃げられない状況に兵をおくのがバカ」なのが常識なのか。
それは、兵が失敗すれば死という環境から、そのうち恐慌を起こし
軍の統制が取れなくなるからです。
現に、敵側は「大軍に挟み撃ち=死」という
思い込みからパニックを起こし自滅しました。
死地に追い込むほど強くなるならおかしいですよね?
あと、撤退スペースが無いので兵を効率的に動かせません。
韓信は短期決戦であり、さらに合理的な勝利の策を
教えることによりそれを回避しましたが、
まあ普通に考えれば当たり前ですよね。

死地におくというのは、あくまで一時的な効果しかもたらさない。
競馬の馬の鞭みたいなもんで。慢性的に打つと逆に疲労困憊し崩壊します。
普段の力すら発揮できない。

「背水の陣」は、史事をみて分かる通り「根性万能論」を提示していません。
むしろ、策を持たずただ死地に追い込まれた人が如何に脆いか、
敵軍をみればそれを教えてくれると思いますが。

前置きが長くなりましたけど。


そして、慢性的に死地におかれてるのがニートです
あのね、ニートを根本的に本気でバカにしすぎてる人大すぎです。
そういう人の助言は聞く気もなくなるんですが、
この先ほっとけばどうなるかなんて、教えてもらわなくてもわかってますよ。
それで、上の状況なわけです。

慢性的に、死地にいるような感じ。
本来持っているハズの能力すら、出せていない。
こんなとこに、さらに死地に追い込むような真似してもね、無駄です。
止め刺すのがせいぜいでしょうね。
正直何しにきたんだかという感じです。



なのに「死地の万能性」を、信じてる人があまりに多すぎる。


まあ、これには理由もあります。
「信じてる」んじゃなくて「信じたい」んですね。正確には。
なんせ「楽」なので。教える側が
この方法で得するのは、教わる側では決してありません。
教える側です。
なんせ放り込むだけでOKと思ってるので。
本来は韓信のようにその後の策を用意しないと意味ないんですが、
そんなつかれることはガン無視です。


あのっすね、普通に考えて、あなたの幸せ願ってたらそんな提案しませんて。
大体において、言ってる本人ができない場合も多いし。
死地に放り込むだけって楽なんですよねーほんと。
人の不幸を簡単にみれて気分もいいし?みたいな人もいるだろし?

でも、そんな万能的効力はありません。
パニック映画を見たことないでしょうか。

追い詰めすぎれば、恐慌状態になる

これが、普通です。


ですから

「背水の陣」が自分に必要だとか、

自らを死地に追い込めない自分は自分に甘いだとか、

もっと厳しい環境に身を置けばがんばれるんじゃないかとか、

そんなことは一切思う必要はありません。
あれは、一時的なカンフル剤にこそなれ、
長期的な助けとはなりません。むしろ害です。
なんの手もなく、ただそれだけを行っても
無駄に終わるどころか、よりひどい結果になるでしょう。
経験者として助言しますw

結局、これが言いたかったんだけどw

まあ、これに関してはもうちょい補足があるので、
いずれ続きを書きたいと思います。


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