ニート考察71「夢がない。目的もない」

「人生には目的が必要だ」

ってよく聞きますよね。

自己啓発にも、たくさんのってます。
夢の大切さとかなんとか。

今の生活に不満があって、夢を押し殺して生きてるなら
夢を追う生活をしたほうが、結果的にはいい感じになる。
とたくさんの啓発書がいいます。

あんまりにもたくさんいうんで、多分事実なんでしょう。
もしくは、事実である人が多いんだろうけど。

でも、自分は昔、この言葉聞くたびに結構辛かったです。


だって。

ないんだもの!

別に欲しくなかったわけじゃないし、何かを諦めたわけじゃない。

そもそもが、最初からない。

あったとしても、誰にも迷惑かけずに生きたいとか、そういうささやかなLVです。
なんか、夢というにはイマイチというか。

自分でいうのもなんだけど、全然情熱なんか湧いてこない。

就活でも、この質問が出てくるとすげー困りました。
特にないので。

で、もっと困るのが、ない。それはいい。
ないなら、何か見つければいい。

って・・・。あっさり見つかったら苦労しない

ほんと見つからない。

そもそも基本的にトラブルを嫌い、「何もしないのが正解」というスタンスで
人生の大半を過ごしてきたので、何にも出会ってない。
出会ってないから、選びようがないし、目覚めようもない。
また、見当もつかない。

そんな感じ。

だから夢に溢れる人とか、凄い羨ましいです。
夢があるというだけで羨ましい。素晴らしい。

同時に、あまりにもたくさんの場所で言われるので
夢がない自分は、失敗が確定してるのだろうか?」なんてのも考えました。


実をいうと、今でもそんなにないです。

でも正直いうと、大抵の人が、実はそうなんじゃないかなって思ってます。

大抵のダメな人がっていうんじゃなくて、
社会人でも大抵の人が、夢ってなんだろうな生活をしてるんではと。

それに、夢がある人だって、生まれた瞬間からあったはずないし。
やっぱり、ない時期があって、そして、なんか突如であったんだろうと思ってます。

だから、夢がないとか、あんま気にすることはないかと考えてますね。今は。

今考えてるのは「幸せでいい気分な生活を送りたい」ってとこです。
それがどんな生活かは、ぶっちゃけ具体的にまだ定義できてない!

きっとそのうち見つかるさ!

と考えてます。
人生、気長にいかんとね。

夢が今はなくても、気にすることはないです。




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こうなったのは誰が悪い?と考えると死ぬ(後編)

前回の続きです。

反省と後悔を繰り返していくと。

生まれたことが間違いなんだから、死ぬ(自殺する)しか無い

となると。

でも、それっておかしいですよね。

明らかにおかしい。

だってさ。

「反省」するために過去を振り返ってきたのに。

「反省」って何のためにする?
「次に活かすため」ですよね。
少なくとも、ただ嫌な過去を振り返って嫌な気分になるためじゃない。
嫌だけど、次に生かすために、振り返る。

そして、何のために次に活かすのって。
「幸せな、いい気分の人生を送りたいから」でしょ。


「幸せな人生」を送るために反省してるのに!
結論が「自殺するしかない」とか!



おかしい。

どう考えてもおかしい。

何をどう考えたっておかしい。


でも、何度考えてもそうなるんですよ。

「誰が悪いのか」っていう思考で過去を探りだすと。
あの時、俺がこうしてれば。こうしなかった俺が悪かったってのから始まって。
社会人から大学へ。大学から高校へ、中学へ、小学へ、保育園、生まれた時!
生まれてきた事が間違いだった!
これを修正するには死ぬ他はない。

何度考えてもそうなる。

しかし、反省は「幸せな人生」のためにやってるはず。
「幸せな人生」のための結論が、「自殺しなければいけない」・・・・・・?


それはおかしいだろ。



あと、前回もちょっと触れたけど、悪者探しだと自分以外にも出てくる人がいます。
責任を負うべき人がね。

親です

あ、誰もが親を恨むとかそういう話じゃないですよ。
ただ、そうなる可能性は低くないという話です。

いやあ、そこそこいると思いますよ。
ダメな感じになってる人で、親とうまくいってない人。
表面上気を使ってても、「潜在的に、親を憎んでる」人とか。
「自分を不幸にした、お前も不幸になれ」って感じとかで。
道連れ思考ですか。


自分はそこまで過激には思いませんでしたが、
ダメな時期に一番深くはまってたころは、
親とは大して上手くいってなかったと思います。

これも結局、同じですよね。
反省して、後悔して、何が悪かったんだって考えて。
さかのぼったら、生まれたとき。育ったとき。
何が悪かった。
自分じゃなけりゃあ、親になります。

でも、親だとして、どうするんですか?
結局のところ、生んだことが間違いなら、やはり俺が死ぬしかなくなります。
そもそも産んでゴメンだったら、生きててゴメンなわけで、やっぱ死ぬしか無い。
もしくは命の責任として親に死んでもらうとか。

・・・・・いやいや。
なんで反省をして、自殺か心中自殺かになるんだ。
「幸せでいい気分な人生」を送るための結論がそれって、どう考えてもおかしい。


でも何回考えてもなる。
反省を重ねると、「幸せな人生」のための結論が「自殺するしかない」と。


そこで、ふっと気づいたんですね。
不毛だと。

ああ、これはもう、問いかけ自体が不毛なんだと。

誰が悪いのか」なんて事を考える事自体が不毛だと。
だってこれをやると、必ず生まれた時までさかのぼる。
そうすると不毛な結論しか出てこない。

それに気づいてからは、こういう考えはさっぱりやめました。

一切過去を見ないってわけじゃないですよ。
繰り返したくないことについては対策を練ります。

でも、基本的には割とあっさり打ち切ります。
戻って戻って・・・・戻った先は、ね。どうしようもないんで。

重要な問いかけは「幸せでいい気分な人生を送る」ためには
どうしたらいいか。

「悪いのは誰か」は、もうやめ。

別に、変な正義感でいうんじゃないですよ。
それにこだわると、自分が損するからいうんです。


誰が悪いとか、そんなの、分かったところでなんにもなりゃしない。
気分は落ち込みますけどね。もしくはイラだつか。


そういうわけで、自分は一切こういうことを考え無くなったのでした。

いやあ、突然突き詰めてったら、フッと気づいたんだよね。ある日。。




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ニート考察69「こうなったのは誰が悪い?と考えると死ぬ(前編)」

いやあ不毛でしたね。
ある日、ふっと気づいたんですよね。

あ、これおかしいぞって。


自分は完璧主義者はまだ完全に脱却出来てるとは思わないけど。
こっちはほぼ完全に脱却できてるかと。

昔はすげー考えてたんですよ。
一度・・・っていうか、何度も何度も考えるんですよね。
何をって。

誰のせいでこうなったか!ってのをね。

いわゆる反省でございますな。
ええ、大事ですからね、反省は。

でもね。先にいいますと、これは死ぬほど不毛です。


なぜって。

考えるんですよね。まずは自分が悪いと。あの時ああしてれば、こうなったのにと。
あの時ああしてれば、もっと、もっとよくなったのにと。

で、これはどんどんさかのぼるんですよね。
社会人の後悔の原因をたぐると、高校まで戻るし、
高校の後悔をし始めると、原因はそもそも中学にあるんですよ。
あの時、もっと勉強していればとか。これ絶対です。
絶対にさかのぼります。

で、自分のせいだ!っておもうのも、ごくごく近代までです。
学生時代は、段々自分が悪かった!ってのとと、
周りのせいだ!ってのが、あやふやになってきます。
いやまあ、実際にまわりのせいってのもあるとは思うけど。

高校の時の原因をたどると、中学にいきつきます。
中学の時、もっと社交的になっていれば。イジメにあわなければ。
中学をたどると、小学にいきつきます。
いやいや、小学の時点でもう内省的だった。あの時もっと活発なら。
小学までいっても、まだ幼少までいきます。
あの時、ああ教えられてなければ。もっと良く育ててくれれば。
幼少までいくと、最終的に出てくる結論は一つです。

なぜこうなったのか?

この環境で生まれたからです

これですね。まあこうなります。
さかのぼってけば、絶対生まれた時までたどり着きますよ。

そして、誰が悪いのか?
親が悪い。生んだ親が悪い。育てた親が悪い。

こうなるかな。
自省的な人だと、その上に「自分も悪い」となるでしょうね。

で、どうするのか?

生まれたことが間違いなんだから、死ぬ(自殺する)しか無い

こうなる。
人によっては、俺をこうした親ごとしてやるってなるかもね。


ちょっと続きと足すと長いんで、一旦区切り。
次はこれからどう脱却したかってのを書こうかと思います。





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ニート考察68「明日の100点よりも、今日の30点」

やろう、やりたい、そのうえやらなきゃいけない。
でも、どうもやりどきを逃した気がする。
その上、上手くいかない気もする・・・。

ってこと、ないですかね。

ベストでやらくちゃ……みたいな強迫概念。

具体的にいうと、就活でハロワいかなくちゃいけないけど
「もう4時だし。もうちょいで閉まるし。きっと混んでるし。
 明日の朝から行けば、ゆったりたくさんできるし」
と考えたり
「電話しなくちゃいけないんだけど、なんか夜だし。
 今タイミング悪そうだし。ここは確実に開いてる時をねらおう。
 明日以降で」
と考えたり
「勉強しよう。でも深夜だし。明日ならもっといいコンディションだし」
とか
「履歴書を(以下省略」

でも、こういう時に限って、明日も同じパターンに陥ったり。
まあ、やるときもありますが。

ブログでは幾度かいってますが、完璧主義ってのは、
大抵のダメな時期に差し掛かる人において共通し、また原因となるもので
正直出来る限り全速力で卒業したいけど、意外と難しい。
自分も大体は出れたと思ってますが、やはり残ってる部分はありますね。

まーそれでも昔にくらべりゃ相当マシなんですがね。

そういうわけで、そんなとき、最近、行動の指針にしてる言葉です。

「明日の100点より、今日の30点」と。

これで、そこそこ動けてる気がする……。

大体ね、30点のつもりで始めても、
70点ぐらいになったりするんですよね。
やってるうちにノッてくるってのがあるので。
仮決定は本決定、みたいな感じの言葉もあったりしますが
それと似た感じ?
仮にと思っても、それが最終稿になったりとかします。

逆に、100点のつもりで始めても、80点ぐらいにまでなったりする。
まあそうそう完璧にできないですし。

あと、一番重要なとことして、今やれば間違いなく今やれるけど、
明日に回したものは、明日も明日に回す可能性がある。
というか、かなりの可能性で回す。

それだったら、もう30点のつもりでいいから、今やっちまえと。

30点でいいって考えれば、一歩踏み出すのも気楽ですしね。
多少アクシデントが入って不出来でも、まあ元々30点だし。
やってみて30点で、どうしても出来が気に食わなければ、
それこそ明日以降に残り70点を目指せばいいわけで……。

ハロワで、一社二社しかみる時間なくても、まあいいかと。
電話も、失敗しても30点あればまあいいかと。
文を書いたりするのも同じですね。
完璧なレスとか考え得る間に、最速で適当なレスとか。

それでも、明日の100点よりは勝る……と、思うんですよね。

現実問題30点と100点の比較じゃなくて、
大体6,70点と、80点だか0点(明日もやらない)の比較になりますから。


あと、もう一つ。この基準って役目があって。
100点は無理。でも30点なら?
でも、その30点すらいけそうにないテンションの場合。

そんな状態で100点とか、明日になろうが最初から無理だろってことで
元々のハードルを下げたほうがいい。
もしくは今度こそ明日に回す。
そんな基準でもあったり。


他だと、結構70点とか80点とか言われますが、
個人的にはそれでも全然高くて、30ぐらいがちょうどいいです。
30点も無理なら寝る。


3点とか10点は逆にハードル高いかな・・・・(笑
30点でやりたいことだと、1つ2つだとしても
(例えば仕事の準備一つだけだとしても)
3点だと、他に英語の勉強や掃除や遊びや人付き合いやと
いくらでもでてきそうですからね。
ハードルを下げ過ぎて、数を増やしちゃ意味がない。


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ニート考察67「失点を取り戻そうとするとドツボにはまる」

空白を取り戻そうと考えるな。それは罠だ。の巻

復帰後は週一ぐらいで書こうと思ってたのに、1ヶ月たってたでござるの巻。

こんな状況でこんなタイトルってのもどうかと思いますが、
むしろこんな状況だからこそこんな事を書いてみたり。

前回「日に日に悪くなる」というのは、正直「どん底」よりもきついと書きました。

個人的な過去ですけど、僕は今まで今回の半年休みも含めて、
何度か人生において足を止めたことがありますが。
(トータル4回、足して6年。なげえ)

おそらく、この「日に日に悪くなる」に加え「全部取り戻そうとした」のが
まあ色々破綻の原因だったと思っています。

本来なら全部、最初のうちに動いていれば、全部軽傷ですみました。
しかし、それがいつのまにか、重傷になっている。
空白を取り戻そうとするとね。

これね、本当に罠なんですよ。

いや、取り戻そうとすること自体はいいんです。それは間違っていない。
上を目指さないと上にはいけません。
ただ「一気に」取り戻そうとする。
これが良くないんです。本当に致命傷になる。

なんでかっていうと、ハードルが上がるからです。

「今日逃げると、明日はもっと多くの勇気が必要になる」という名言がありますが
これは精神的な部分だけではないです。

実際に、大きい労力が必要なんです。
これを上の名言で言い換えるとですね。

昨日出来なかったものは、今日も出来ない。こういう感じですよ。
だってそうじゃん。実際に昨日より大変なんだもの。

個人的な過去を例にだすなら、一番最初は中学の不登校期かな?1年ぐらいでしたけど。
きっかけはささいな事で、宿題が片付けられなかっただけです。すごい量の多い学校でね。
毎日2,3時間分なんてざらでしたし。でまあ、出来ないとかなり怒られるわけですが。
それで、一度行けなかったんですね。
そしたら、当たり前ですが、次の日は宿題が2倍になってるわけです。休んだ分。
其の次の日は3倍です。一週間休めば、一週間分。
もう、無理なんですよね。こなせない。それが、1年分にまでなりました。

時間は流れていくんです。どうしてようが。

今日必要だった労力は、1日分だけでした。
しかし、明日は2日分のをやらなきゃいけない。
明後日は3日です。一週間後は?一ヶ月後は?一年後は?

就活も同じ。
空白が1ヶ月だった。じゃあ2ヶ月の人はもっときついよね。3ヶ月はもっと。
半年は、一年は、二年は?

詰みですね。どうしようもない。

・・・ただ、これは「一気に取り戻そうとする」事から来てるんですよ。

1日休んだら1日分を、3日休んだら3日分を。

一気に取り戻そうとするから、日がたつごとに条件が厳しくなる。
「日に日に悪くなっていく」スパイラルに落ち込んでいく。

宿題がどんどんたまっていく、あの感覚です。
どうでもいいですが、自分は学校卒業して社会人になった後も
常にこの感覚を味わってました。
いつこの感覚から開放されるんだろう、そんな思いばっかりで。

量だけじゃないですよ。質においても同じです。

半年の休みなら、バイトでも良かった。
1年休んだら、社員じゃないと元がとれなくなった。
3年休んだら、一流の会社員じゃないと元が取れなくなった。
10年休んだら、起業家として一旗あげないと・・・。みたいなね。

しかし、当たり前ですが下にいくほどハードルが高いです。
上をこなせないのに、下がそう簡単にこなせるだろうか?
まあ、普通に考えてキツイですよね。


上を目指すとか、復活を目指すのは大事だと思います。
でも「一発逆転」を狙うと、余計に逆転から遠ざかると、そう思います。



まあ、とりあえずは、一歩前にでること。
取り戻すとかは、まあその後に考えるとして。
どのみち、踏み出さないと取り戻せないのだしね。




もう一つ事情を話すと、このblogも同じような理由だったり・・・・。
半年前の話ですけどね。

1~2日間隔の更新きつい → でもリアル事情で大分休んじゃった → 取り戻さないと →
→ 大量の書き溜めを試みる
 or 
こんだけの記事を書いてたならしょうがないな!クラスの質の高い記事を書こうとする
→ できたら苦労しねえ → 休みすぎ → ぎぶあっぷ


→ じゃあなぜ戻れたか


→ 逆に考えよう。こんだけ無様でも、それでも人生上手くいったとしたら……?
→ それはまあ、説得力でるな。少なくとも自分よりマシな状況の人には。
→ つまり、休めば休むほど美味しい
→ 日に日に美味しい状況になっている
→ 復活

そんな感じですね。
人間、どんな時でも、新たな考え方の発見はあるものですね。


そんなわけで、空白を取り戻そうとしたり、失点を挽回するってのは
かなり危険な行為だと思っています。

考えて見れば、ギャンブラーの思考ですもんね。
中学校の時に気づくべきだったw 長くかかったなー。



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ニート考察66「『どん底』よりもさらに悪い状態とは」

長らく放置してしまって、改めてごめんなさい。

さて、復帰した理由の一つに、かの東北大震災がきっかけの一つとしてあります。
本当に怖かった。自らが平和ボケしてたことを、認めざるを得ないですね。
死を意識して、やれる時に、やれる範囲でいいからやれることを、
やっておけばよかったなってちょっと思ったのが一つあります。

そして、もう一つ、思ったことがあります。
自分は今の日本の現状が怖い。言うまでもなく、原発問題が理由です。

自分は東京住まいなのですが、原子炉爆発から数日、本当に怖かった。
デマや煽りもたくさん飛び交いましたしね。放射能汚染のね。
ひきこもりがちな人は、特に想像力が優れた人が多いから、
自分と同じ人が多かったかもしれませんな。
(尚、政府や東電批判をここでするつもりはありません。それは別の話です)

■よくわかる不安のループ
・現状に不安になる→安心する材料を探す→
 →1の安心材料が見つかる先から、10の不安材料が見つかる
 →もっと不安になる→最初に戻る

本当、どうしようもないねって感じ。
で、この恐怖に怯える期間中に、強く感じたことがあるんですよ。

ああこの感覚……ダメな頃の絶望感に似てる、と。

正直、全く前に動ける気がしませんでしたからね。あの事件からしばらくは。
不安に苛まれて。想像力がマイナス方向にたくましいので。
で、似てるなーって思ったんですよ。この原発の恐怖感が。
就職とか、仕事とか、自分への自信とかを全部諦めてたころにね。

地震よりも、津波よりも、原発の恐怖は恐ろしい。
まだ起こってなくてもおそろしい
何故か。
それは、放射能問題の性質です。
そう、日に日に悪くなる、っていう。


これはね。人が、どういう時に絶望を覚えるかってのに、起因してると思います。
俺だけの性質じゃないと思うな。

多分、人って、どん底は意外に耐えれるんですよ。
後は上がるだけ、ってなると、逆に吹っ切れる。

だけど、日に日に悪くなる、っていう状況はかなりキツイ。絶望を覚える。耐えれない。
人を絶望に導くのは、右肩下がり、であると思います。

現状の絶対値じゃないんですね。足をとめるのは、昨日との比較です。
マイナス成長、右肩下がり、成長率の低下
100万円の貯金と10万円の貯金の人。不安になるのは数値だけなら後者ですが、
前者が月ごとに5万ずつ貯金が減り、後者が月ごとに5万貯金増えるとすると、
どちらが不安かという状況は逆転するでしょう。
原発もそうですよね。安心できないのは、プラス方向への
ターニングポイントを迎えていないからです。

就職や仕事の絶望もそうです。日に日に悪くなる、そう感じたら足は止まります。
年をとるごとに、履歴書の空白期間が伸びるごとに、状況は悪くなる。
そう思ってしまったら、今が如何に良くても不安は消えません。

これは、人同士の状況を比べる無意味さをもあらわします。
たくさん持ってるから「幸せ」。「不安がない」。ということを、意味しないので。
むしろ「持つ者」のほうが「右肩下がりの恐怖」をうけやすいかもしれない。

「日々変わらない」も、別の観点からだと「実質右肩下がり」であることもあります。
何かと言うと「努力が無為になってる」時ですね。
プラスにいくはずなのに、変化がゼロである。
実質的に、右肩下がりと同じような感覚を受けることがあります。

例えば。勉強してるのに、成績が伸びない。
仕事を頑張ってるのに、評価が伸びない。
働いてるのに、生活が楽にならない。
何度話しかけても、仲良くなれない。
精魂込めて野菜を育てたのに、汚染で売れない。
blog更新したのに、人がこない(笑)とかね。

「日に日に悪くなる」時……。
「努力が無為になる」時……。
人は、非常に絶望しやすくなるんだと思います。
原発なんて、両者を兼ね備えてるからそらきついよ。

自分が自分に絶望していた頃。引きこもったりニートしたりダメな時期になってた頃。
こういう感覚にとらわれてました。
もし、ダメな人の感覚がわからないって人は、
今回の原発パニックの気持ちを思い出してみるといいかもね。


でも、逆も言えますよ。「日に日に良くなる」。
この時は、前を向く気力が、かなり湧いてきます。
今がどん底でもね。
具体的にどう捉えるかってのは、長くなったんでまた今度。
復帰した理由にも関わってます。


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ニート考察65「運勢の操り方?」

前回、何かダメな人がいて、それでその「原因」として。
「運」っていうのをあげました。
責任は本人ではないという意味で。

では、そこで疑問。
運が悪い、運がいい。これは、どうにかできるのか?

できる、といったら?

運は操作できる!と言ったら、頭がおかしいか?


いやあ……少なくとも僕は結構引きますけど(笑

余りにも胡散臭いっす。

でも、これに関しては結構ビシッときた言葉があるんですよね。
斎藤一人さんの言葉ですが。


「運っていうのは、人に好かれると、ついてくる。
 人に嫌われると、逃げていくんだよ」


というのがあります。

運は人が運んでくるってことですよ。


一見、凄くオカルト臭いです。

でも、これ実はかなり論理的じゃないか?って思います。

運とか不運っていうか、出来事・物事って、大体誰か他人が関わってるし
誰かが持ってくるんですよ。

「これを伝えたら、あいつは得するから、伝えてあげよう」とか
「これを伝えたら、あいつが得するから、俺のとこで止めよう」とか。

「これほっとくとあいつ損するから、教えてあげよう」とか
「これほっとくとあいつ損するけど、ほっとこう」とか。

その手の話って、メッチャたクチャに多いと思いませんか。
話だけじゃなくて、実際に手伝ったり妨害したりまでくることもありますけど。

たとえば僕のせどりかって、リアルで教えてる友人もいますけど、
それはその人に僕が成功してほしいから、教えるわけで。
要するに好んでるというけで。

その人は、副業とか探してて、結構なんかない?って聞いてきたので
答えたり、力になったりしたのですが(今それで20万以上いってるそうですが)
嫌いだったら、絶対に教えないです。
「うーん、わかんないですね」で終わらせます。
そもそも、副業で自分が稼いでることすら教えません。面倒です。
それって、本人はわからないかもだけど、明らかに運を逃してますよね。

自分も同じで、色々教えてくれたり、最初に情報提供してくれた人がいるけれど。
もし、その人が一番最初に僕を嫌っていたら、正直どうなってたことか。今頃。
物凄くツイてるなって思うけど、
明らかに好き嫌いともリンクした話だと思います。

他にも、友人じゃなくても、結果でないけど頑張ってる人を応援したりとか。
結果でてるけど横柄な人を、支援できるけどしなかったりとか。

だから

「好かれると運が寄ってくる。
 嫌われると、去っていく」

ってのは、凄く論理的な話だと思うわけです。


まあ、それが分かっていても、好かれるための
行動ができないことは勿論あるし。
そもそもどうやって好かれればいいんだよってのもあるし。
それが分かった上で、別に好かれなくてもいいやってあるかもですが。

敵の数だけ不運率も増えるってのも、また事実だと思います。
好かれる人間になれとはいわないけれど、
敵を自ら作るようなことも、またしなくていいでしょう。
運が逃げますから。


この言葉って、ふっとしたときに頭に蘇ってくるんですよね。
自分の中では、三日に一回ぐらいは頭から離れなくなります。


不運も幸運も、他人が運んでくるんだよねぇ……。



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前回 10/11/05 ニート考察64「ニートになったのは誰が悪いか」

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ニート考察64「ニートになったのは誰が悪いか」

よく言われることです。

ニートになったのは誰が悪い?

ぱっと浮かぶ答えは、親だったり。
この社会構造そのものだったり。
学校だったり。
教師だったり。
友達だったり。
クラスメートだったり。
会社だったり。上司だったり。
その他色々浮かぶと思います。

最も、一番浮かぶ、もしくは、他人に言われるのは。


お前が悪い。


でしょうけど。

まあ当たり前か。何をいうても、一番の正論。
反論のしようもない。

でも、自分はこういうふうには考えないです。
いや、俺が悪かったってのはあるけど、あえて無視。
じゃあ、どう考えるかというと。


「運が悪い」

これに尽きますね・・・・・・・。
いやあ、実際、大抵の人がこれで片付くんじゃないかな。
本当、レールから転落するなんて順調に見えてもあっという間だよ。
落ちる時は落ちる。

だれだって、テンションが下がる時あるし、
いろんな不幸が偶然重なるときもある。
たまたま、相性の悪い場所に放り込まれることもある。
環境だって9割は選べないし。

こうなったのは誰のせいだ、って、自分のせいだ自分のせいだって、
そこで自分を責めても、いいことなんて一つも無いと思うんですよね。
親のせい、学校のせい、仕事場のせい、どれも同じです。

自分のせい、それは分かった、じゃあ明日から自分は変身するんだ!って
思ってすぐ変われたら苦労なんてしないわけで。
大抵は、そう思うも中々すぐ変われず、変身に挫折し
また一つ「自分のせい」伝説が積み重ねられるのがオチかと。
親も学校も仕事も世間も国も同じ。

何が同じって、結局その原因から離れられるかってのが問題です。
自分からは離れらない。親からもって人も大半でしょう。仕事や世間や国も同じ。
ということは、断定したところで解決は難しいんです。意味がない。
余計離れられない苦しみを味わうだけ。

そんなことを重荷に感じて動けなくなるぐらいなら、
これまでは「運が悪かった」と全部投げ捨ててしまえばいいと思います。
実際、そうだと思うし。

あくまで「これまでは」ってことで。
運は眼にみえないですからね。
変わったと思えば変わった事にできます。
これなら離れられるしね。そうでないのに悪者探ししたところで、疲れるだけですから。

過去は全部運です。そう思うのが楽だと思います。


ただ、これからも全部運っていうと、それはそれで努力というか
全く成長しないかもしれない。それを推奨するわけではないんで。
これから、に関しては「自分」でいいんじゃないんでしょうか。
ちょっとダブルスタンダードですけど。


まとめると、過去の悪いもの探しが始まったら
「全部運が悪かった!」で全部片付けておいて
じゃあどうするかっていう話題になったら
「自分さえ変わればなんとかなる!」という考えに変える。
ということっす。


自分はこういう、本来なら一貫性のない考えを
場面によって使い分けるっていうのは、結構アリだと思います。


誰のせい、国のせい、親のせい、自分のせいっていうの、
言ってるだけでかなり疲れますから・・・・・・・。


で、これは言われた時も、気にしなくていいって意味でもあります。
「お前が今ダメなのは、全部お前のせい」って言われても。
気にすんなと。

全部運のせい、ぐらいですましとけばいいんですよ。
他人に何がどんだけわかるって言うんです。
聞いたところで、あーそうですよね、っていう思いの加速こそすれ
別に新しい啓蒙をもたらしてくれるわけでもないし。

「お前のこれからは、お前次第だ」っていうなら全然聞く価値あると
思いますけどね。


とにかく、誰が悪い、自分が悪いとかは、考えなくていいと思う


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前回 ニート考察63「分かる+できる=やれない」
次回 ニート考察65「運勢の操り方?」

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ニート考察63「分かる+できる=やれない」

世の中のニート的方々というより。

ニートを相手にしてる方々に言いたい。

「分かる+出来る=やれる」

なりたたないからな!

※出来る=物理的に可能である、の意


よくあるやりとりとして。

「仕事やる気あんの?」→「ある」→「じゃあやれ」
→やれない→「やる気ねえだろ」

このコンボ。

二度と辞めて欲しい。
別にニート相手に限らず、やるべきでない。

分かってるのと、やれるのは「別」だし。
できるのと、やれるのも「別」だし。
分かってて、できるけど「やれない」のもある!
いや、それが当たり前!

こういうと甘えっていうかもだけど。

いや良く考えてみてください。


世の中、あらゆる人が、分かっていて、しかもできるけど、やれない。
そういう事ばかりな人なんですよ。

いい大学行きたいなら、勉強しっかり毎日やって、趣味にうつつを抜かさず
死ぬほど打ち込む。わかりますよね。出来ますね。実際はやれませんね。
人には明るく爽やかに敵意を持たない。わかりますよね。出来ますね。
でも徹底してる人は少ないですね。
お金を稼ぎたいなら、商売について徹底的に勉強する。わかりますよね。
出来ますよね。でもやってない人大半ですね。
どんな人気のない夜間でも、信号は無視しない。分かりますし出来ますね(省略
自ら切り出した約束はちゃんと守る。わかりますね出来ますね(略
自分を棚にあげて他人に説教しない。分かりますし出来ますね(略
夏休みの宿題は7月中に終わらせる。(以下略

分かると出来るとやれるは全然別なんだ!ってことを
改めて声に出したい。

やる気があって、出来るとしても、やれないことはあるんです。
そういうダメな部分は皆あります。
そこを、徹底的に責めても、どうしようもないです。
そういうの、皆も普段なら分かってるはずなのに。
なぜ、ニート相手だといきなり風当たりが強くなるのか。

例えて言えばですね。まあ今まで恋人いたことない、
でも恋人欲しいって人がいます。でもその人にですね。
「ナンパしまくれば、誰かひっかかるよ!100人ダメなら1万人!
 自信をもってレッツゴー!」と
助言してですね、実行すると思いますか?
そりゃあ、確率的にはその通りですよ。
そのモテない人も1万人アタックすれば、一人はひっかかるだろうと
頭では理解できます。そして、恋人欲しいのも事実です。

だからといって、じゃあもちろんやれますね!……っていうと
それはまた別。

でも、実際100人、非モテ集めたら、おそらく
100人全員が、この方法の正しさは認めるでしょう。
じゃあ、全員行動にうつすはずってそれはない。
机上の空論というもの。
それをもって、本当は恋人欲しくないんだろというなんて。
それは暴虐、暴論というものですよ。

でも、ニートに対しては平気で同じことをする人が
どんだけいることか。

やる気あるのに、やる気ないと言われる。
すげー辛いです。

物理的にできるというのを、
その人の精神を無視して出来ると決めつけてはいけないですよ。

精神的な壁も乗り越えて初めて、出来るというんです。
そしてそれは人それぞれ違うし、
ある人にできるから他全員に出来るってわけでもない。
できないといって、その人が劣ってる証拠にはならない。
別であるという証拠にはなるけど。


出来る=やれるではないし。
やれない=やる気がないではない。
やれないけど、やる気がある人はたくさんいるよ。


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ニート考察62「実績のない状態で、自信をつけれるか?」

まず自信が大事。
無理やりでも自信を持とう。

ってよくいうし、実際、これは非常に大事だと思うけど。

じゃあ
何も無い状態から実際自信ってもてるのか?
実績なくて、自信もてるのか?
っていうと。

正直、無理じゃないかな……って思う。

いや、ばっさりいうと無理だよ。

相当キツイ。

実績なき自信なんて、砂上の楼閣。何も根がないから、ちょっとした
風当たりですぐに倒れる運命にある。

自己啓発とかだと「自信もて!」っていえば「はい持ちます!持てました!」
で終わらすのも多いけど、それは割と充実した経験の持ち主であって
自分みたいなダメ街道を突き進んできた人には、それだけじゃ全然足りない。

0を100と思えって、いくら「自信が大事!」「無理やりでも信じろ!」って
言われても、根拠がないし、イメージももてないから、
どうやっても信じきれない。信じきれる人がいたら、ある種の才能だと思う。

分かっていても、出来ない。無理やりもっても、一押しで崩れてしまう。

しかし、じゃあ持たざるものは、詰んでるのか。
そこで終わりかというと、そうじゃないと思う。

どういう意味かというと。
実績を、無いのをあるって信じるのは、凄くムズい。
でも、ちょっとでもあるのを、相当ある!って信じるのは、結構楽

だから、実績がない状態で、自信を持ちたいなら。
「ちょっとでもいいから、これから実績を創りだす」
もしくは
「ちょっとでもいいから、過去から実績を見つけ出す」
ってのが大事かと。

全く、本当に何もない状態で、例えば「俺は異性にモテる力がある」
と信じるのはかなりキツイものがあるが。
一回でも告白されたり、もっとハードルさげて一回でも
異性にほめられたりとかがあれば
「俺にも魅力がある!」と信じることができる。

仕事も同様で、全く何も無い状態で「俺は才能がある!」と
信じるのは大分キツイが
1回でも採用決まってたり、成果を残してたりすれば、
「俺は見所がある!」と信じることができる。

例えば自分の場合だと、一番最初に自信を取り戻したのは
2年ニートしたあとに働いた、テレサポの仕事でした。
そこで、最初の3ヶ月こそ苦労したけど、半年後には電話での
1日の処理件数が連日一位!っていうのを達成して、凄く自信になった。

これはちょっとからくりがあって、まず一つは
「そんなもん達成してもなんのご褒美も無かった」っていうのがある。
つまり誰も狙ってない。20件処理しようが50件処理しようが評価一緒。
だったら手をぬいてダラダラやったほうが得。
あと、カウント自体も勝手な行動。他人のオペレータデータも見れる環境だったから
俺が勝手に、他全員の受話処理数を調べて統計とって、勝手に競っただけ。
学校の給食とかで、早食い一番!みたいなのとLV的には同じかも。

そういう、ちょっと裏のある実績なんだけど、結果的には、超自信になった。
砂の上じゃない、しっかりと根をはった、根拠のある実績。
俺は他人よりできる!っていう。そんな感じ。

だから、何も無い、本当に無い、という人は、ちょっとでもいいから、
わずかでいいから、実績を作るか、見つけるかするのが大事なんだと思う。
0から100をおもうのはムズイ。
でも、0を1にする。そして、その1を100と思い込むのは、そこまででもない。

1次面接に1回でも通れば、見所がある!とそれを自信の糧にする。
過去一度でも一瞬でも、人より抜きん出たことがあれば、それを糧にする。
既に持ってるものを、より強く持ってる!っておもう。

ここらへん、幸せの数を数えるのと似てるかもしれない。
今ある小さな幸せをいくつ認識できるかが、その人の幸福度を決めるみたいな
名言があるけど、
自信もそれと同じで、小さな自信をいくつ見つけれるかが、大事。

客観的に見て「立派な実績」なんて求め続けるとキリがないが。
自分を信じる分だけの実績、はほんの少しでもあれば、
それを元に動けるとおもう。

実績0は無理だけど、1からならできる。

そんな感じ。


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