ニート考察37「いつまでに就職しよう、はやめれ」

ニートの方のblogって、自分は結構回るし、いろんな人の
こう、ダメな時期に入ってる人の意見を聞いてて思うんですけども。

周りを失望させないために?とか。見栄のために?とか。
夏までにはとか、あと3ヶ月のうちにはとか、あと1ヶ月とか一週間のうちには
仕事しないと、しないとって自分を追い込む人いますけど。
blogで宣言する人いますけど。


やめたほうがいいですよ。


もし、失敗したらどうします?

凄く跳ね返ってきますよ。


そして、それでいて、貴方は失敗するんじゃないかと内心思ってるはず
3ヶ月のうちに「出来る気がする」じゃなくて「しなきゃいけない」ですからね。

そして、日が経つごとに「もう失敗できない」となるはず。

そんな状況では難しいです。


何がか。


チャレンジが


動くことが。



挑戦というのは、試すというのは、失敗を恐れないというのは、
口でいうほど簡単な事じゃないんです。

平均台があるとします。
地上3cmの台の上ならわたれても、300mの台の上は渡れません。
失敗した時のリスクが違うからです。

失敗を恐れるなといっても、無理です。


自分に対し、そういう「もう失敗出来ない」「もうこれ以上ニートできない」と追い込むことは
台の高さをガンガン上げてる行為に等しいです。

期限が近づくごとに台があがる。

危機感から動くかも、と思うかもですが、危機感はリスクをこえて働くことはありません。
動かないほうが安全なら動かないだけです。
そもそもニートは危機感を余りにも日常的に感じるあまり、感覚が麻痺してますので
今更たいして効果もないです。
(ニート考察15「危機感なんぞニートには不要!」 )


失敗は怖いですか?

就活自体に挫折することが。
書類で落ちることに心おられることが。
面接から逃げ出すことが。
就職して人間関係でイジメにあうことが。
就職して即退職することが。

怖くないですか?
自分は怖かったですよ。昔。

でも怖いままで、挑戦はできません。
台があがってるからです。
もう落ちれないって信じてるからです。


失敗してもいいんだ


そう思って、初めて挑戦できます。
台を地上に下ろせます。


何回も何回もいうけど、人生は長いです。

あと3ヶ月のうちにとか。
あと1ヶ月のうちにとか。

勝手に自分で期限を作って追い込むのは辞めましょうよと。

失敗が怖くなるだけです。

今の時代、普通の人でも3ヶ月はかかります。半年ぐらいでもありえます。

3ヶ月たったあとも人生は続くし
1年後かってあるんです。

いつまでに自分は変身する

それやめましょう。

一歩ずつ自分は前進する

それだけでいいです。
たまには戻るときもありますけど。
自分は3回ニートに戻りましたし。

でも、絶対進んでますから。

期限があるとしたら、貴方が寿命で死ぬ時です。

そこまでは、何回失敗したっていいんです。
若いときにしか幸せは味わえないなんてことはない。

人生は1年……いや、3ヶ月で激変するときもあります。
今の自分とか、たった1ヶ月で凄まじく激動しているw


この期限までになんとかしなきゃいけない。
この期限を過ぎたら、いよいよもってもう無理だ、なんて区切ってませんか。


辞めましょう。
だいたいね、自分、これで動けた試しないですよ。
他人の信頼なくすわ、自分が嫌いになるわ散々です。
そもそもできると思って言ってないですからね。
半ば言わされてるというか。

それを言うのを辞めてからです。実際に動いたのは。
こんなの、いえばいうほど期限を破る自分が嫌いになりますよ。


危機感を友達に、無闇に追い込むのは辞めましょう。





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リア充度の測り方

今日は会社で10周年パーティーがありました。
参加してただ飯くっても時給がでるので、参加してきました。
カンチューハイ3杯程度でベロベロに酔ってます。

まあたまにはこんなエントリも許してくれ。

ベンチャー企業なので、あと営業主体のパーティーなので
リア充臭がただようPTです。

正直、日陰者として生きてた自分にとって、ああいうのは
隅っこでちまちまやってるタイプなんで、こういのはあわないんですよね。
スポットライトを無駄に全員にあてようとするので疲れます。

ぼくはもう、そろそろからして
「自分を嫌いになった経験がない人」とは
人種が違うとしか感じ取れないので。

「イェーイ!」とかの会いの手を、3時間のPTの中で100回以上聞いた気がするんですが。
いや、どっちかというと
「ゥェーーイ!」かな。
「(0w0)ウェーイ!」って感じ。
ザキヤマですかあんたら。

なんか人が登場すると「ウェーイ」
なんか発表されたら「ウェーイ」
なんかネタをやるたびに「ウェーイ」
ネタ待ちの時間も「ウェーイ」

なんなの。

しかし、あれですね。
あれでリア充判別できますね。


「ウェーイ」ってやって。

不自然じゃない度合い=リア充度



つまりどういうことかというと。
いきなりウェーイってやって。


普通に溶け込む奴=リア充
なんか無理してる感ある奴=自分=非リア充
ウェーイしかしゃべって無い奴=体育会系


俺の独断と偏見です。




↓ウェーイ?
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ニート的ニュース「孫正義&ホリエモンの成功論」

今日は本当は別の記事書こうかと思ってたんですけど、
ちょっと巷でホットな、それでいて、まあニートにも
大分関係のある(と思う)内容だったんで
ちょっと触れてみることにしました。

以下リンクです。
↓孫正義さん
孫正義、志(こころざし)を語る

↓ホリエモン
起業してほぼ確実に成功する方法

孫正義さんはあれです。説明するまでも無いと思いますが、
ソフトバンクの社長です。
ホリエモンもまあ、有名ですよね。


まあ、詳しくはリンク先を見て下さい……といっても面倒だとも
思うんで、要約すると。
孫正義さんのは、志を高く持てと。そんで、そこに全部集中しろと。
孫さんは、高1のときに「竜馬がいく」を読んで感銘を受け、中退しアメリカの大学へ。
そして、そこで狂ったほど勉強したそうです。
どのくらいかというと、トイレの時も、食事の時も常に教科書離さない。
両目で料理をみて食事をしたことが無い。
肺炎でも教室の真ん前で、ずっと教師を凝視して誰よりも勉強したと。
それを数年も続けた。たった5分すら、勉強以外の時間なんてなかった。
でね、それでいうのは、志が大事だっていうんです。

自分、その「志」が大きいほどいいってのは、同感です。

でも、その後の


>なぜならば、自分で決めた自分の職業、自分で決めた自分の仕事、
>これコロコロ変えるわけにはそんな簡単にはいきません。
>だいたい決めたらその道にほぼ行く可能性が高い。
>その決めたことをフラフラするということは、効率悪いんです。
>自分のエネルギーをどこについやしたらいいのか。
>自分が登りたい山は何なのか。
>自分の志ってなんなのか。
>自分の成したい事ってなんだろう。
>これを決めることが大切だ。
>ということで、この一文を僕は覚えています。
>登りたい山を決める。
>これで人生の半分が決まる。
>いうことであります。

ということにはあんま同感できません。

このblogじっくり読んでる人は知ってるかもしれませんが。
自分は2年半以上、進路に迷いました。
(ニート就活記5「それでもやりたいことなんてない」 )
勿論、進路決定を重要だと思っていたからです。孫さんと同じようにね。

でも、決定的に違うものがある。
まず、情報がない。彼は知っていた。僕は何も知らなかった。
彼は自信があった。仲間もいた。僕は無かった。相談できる人も。
何ができるか彼は知ってた。僕は自分自身のことすら知らなかった。
何にエネルギーを注げばいいのか、そしてそれをどう知ればいいのか、
なにもかもを知らなかったし、迷い、悩み、落ち込んでました。

ああ、同じことをしたのに、結果は天と地ですよ。

その上、自分を救ってくれたのは「進路決定は重要だ」という考え方ではなく
人生はいつだってやり直しがきく」という考え方でした。
「いつだって、遅くない」
「ダメだったら、辞めればいい。簡単だ」
「道なんて、簡単に変えれる」
「人生は効率を持ち出すには、長すぎる」

そういう「失敗しても大丈夫だよ」という考え方でした。

だから、自分は孫さんみたいな論をみても、凄い!とは思いますが
自分もできる!とかはほとんど思いません。ああ、違うな。俺とは違うな。
ってそう思うだけです。


ホリエモンも同じですね。

ホリエモンも、最初の3年は仕事漬け。
仕事して、仕事して、常にPCの前にいて仕事して、移動時間も全部ノートPCで仕事して
人とも誰にも合わずに何も趣味も持たずひたすらやって、
それで成功したと。
それで、成功してない人は、それやってないんじゃないのと。


でね、自分は思うんですよ。
やれるわけないだろう」と。
なんでそれが分からないんだろう。
いや、わかってて言ってる気がするけど、
分かってない振りをするのはなんでだろう。

だって、まるで成功の道筋がそれ一つしかないような言い方じゃないですか。

そんな人ばかりなはずがない。どう考えてもね。

それに、天邪鬼な自分はこうも考えます。

そのやり方で失敗した人もいるんじゃないの?」と。


きっといるとおもう。

でも、その人に発言権なんて無いんだと思う

自分が、俺はいつだって真剣に人生を考えてるっていっても。
いつだって真面目に生きてきたっていっても。
ニート時代、全く就職しなかったけど、将来の事はいつも考えてたっていっても。

あの時、誰も聞いてくれなかったように。


勿論、意見には「説得力」ってものがあるから
その反応はあたりまえなんだけど。

物事には、成功があるなら、当然失敗もある。

そこの側面が無いように語るのは、中々功罪大きいんじゃないかと思ったりしますよ。


まあ、成功の法則は一つじゃないから、
このblog的には、孫さんやホリエモンタイプの成功論は、
そういう人用の成功法則なんであって、
我々のではない、という風に締めたいと思います。


今はそうでもないけど。
昔はこういう意見は「逆に言うと、これができない奴は
成功できねーから負け組であることを受け入れろ」
みたいに聞こえてきて聞くのも嫌でしたw




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ニート考察36「正論なんて役に立たない」

前回の続き。

正論を信じなくていい理由の一つは、

真反対にすら正論は存在するから」といったけど。


今回はそのもう一つ。
それは何かっていうと。


正論は解決策ではない」ことが多いということ。


過去に対しての意見だったり。
現実的でない意見だったり。
抽象的だったり。
理想論だったり。
そもそも提案でなかったり。


つまり
「お前はあの時、ああしてればよかったんだよ」とか
「5年かけて資金ためて海外でればいい」とか
「死ぬ気で頑張れば成功するよ」とか
「就職すれば解決するから、就職しろ」とか
「恋人がいない?だからお前はダメ人間なんだ」とか

これらは「正論」ではあるかもしれないけど
だからといって現状脱出に役に立つかと言うと、そうではない。


今、自分のおかれてる現状、というものがあるんで。
今自分に出来ることを具体的に言ってくれないと。
なんとも動けません。動けるはずがない。

あと多いのは否定論ですかね。

「そのやり方は間違ってる」だけで止まってる。
でも、それを言われてどうすればいいんですか?
「自分で考えろ」
思いつかなかったら?
「それはお前のせいだ」
そう言われてもね。
どうしようもないでしょうこんなの。

代わりに何もするな、とでも言うのか。

それを真摯に聞いて、何もしなかったとして、何が自分の役にたつのか。

例えば「いずれ死ぬから今死んでも同じ」。
これだって正しいですよね。でもそれを聞いて何か+になるかっつったら、
なるわけないわけで。



自分は、ダメな感じになりやすい方って、真面目で誠実な人が多いと思っています。
だから、たくさんある「正論」を「なるほどその通り」とすべて真に受けてしまって。
まあ、それが建設的な方向ならいいんだけど。
自分を否定する正論」をたくさんまともに受け止めてしまって。


それで、前に進むエネルギーを消耗していってる人が、
結構いるんじゃないかなと。


少なくとも、自分はそうだった。

「やらなきゃ行けない事がわかってるのに、やれない人間をダメ人間っていうんだ」とか。
「20後半にもなって、まともに稼いでないなんて人として恥ずかしい」とか。
「そもそも元々の人間としてダメなんだ」とか。
「とにかくなんでもやれ。やれないのはやる気がないから」とか。
あまつさえ、それを人からいわれるどころか、
自分で自分に言う」始末。

「言ってる事自体は正しい」から聞く。まともに受け止める。
自分がダメといわれたらそう思う。

でも、こんな正論、何の役にたつんでしょう。
単なる弱いものイジメの道具じゃないですか。
正しさってそういうふうに使うもんじゃない。


上にあげたように、正しいから聞かなきゃいけないってのは、ないです。
前回いったように、道に迷います。
今回いったように、エネルギーも失います。


大事なのは、正しさじゃない。
正確には、正しさだけじゃない。


正しいから聞かなきゃいけない、受け入れなきゃいけないってのはないんです。

正しさの上に、楽しさや興奮など、
プラスのエネルギーを与えてくれるのが、本当に受け取るべき意見です。



正しいから聞け、っていわれても、聞く必要はないです。


正しいだけならだれだって言えるんです。
どんな方向からだって、誰だって言えるんですよ。

間違っていても、正しい意見は言えるんですよ。
分かりますかね。

この意見自体もふくめてですけど、正しいこと、それのみに意味なんて、ない。


正しさを盾に、非難されるようであれば。
または、正しさを盾に自分を非難するようであれば。

即刻距離をとるか、やめるかするといいでしょう。


結局、その意見で救われることはないんで。


正しいかどうかなんて、前に進めるエネルギーを
もらえるかどうかに比べればささいなことです。


その意見を受け入れると、前に進むエネルギーをもらえそうですか?
楽しくなりそうですか?


それが無いなら、無視していいんですよ。
正論を無視する勇気を持つのが大事。



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サイドビジネス3「初月の結果は+5万」

詳しくはあっちのblogにて、ですが。
せどり日記14「3月・初月の結果報告」

つーわけで、情報商材に手をだして、初月で売り上げ5万、純利3~3.5万ぐらいの収入です。

なんですかね。この感覚。

凄いワクワクします。


誰かから給料をもらう
のではなく
自分でお金を稼いでいる
というこの感覚。

俺一人でもなんとかやっていけるんじゃないか」という感覚。

なんですかね……これは。なんか、凄まじい「自信」につながる気がします。
社員として採用された喜びが、これに比べると1/10程度に感じるぐらいに。

なんといっても、クビにされることが怖くない。
ダメ人間、って会社や周りに言われることが怖くない。
いや、怒鳴られたりすると凄い嫌ですけど、でもその瞬間は怯えても
一旦冷静になれば「するならしてみろ」と思えてきたり。

金額はもう、一ヶ月の生活費に比べれば全然ですから、
一見雀の涙にみえるかもですが。
もう、バイトの3万と自分で生み出した3万じゃ、全然違う。感覚が。

命綱を、他人に渡してるのではなく、自分で握ってる感覚。
自分の評価を、他人に委ねるのではなく、自分で決めれる感覚。
倍、5倍、10倍と広げれるんじゃないか、という未来への希望がある感覚。
これが、自分で稼ぐということなのか。


自分は、昔から「仕事」とは「商売」をすることであり、
つまり皆仕事をする以上、皆、最終的には「商人」である。
皆商人になる覚悟をもつべきなんだ、と思ってたりするんですが
その思いがますます加速した感じです。

(ついでにいうと、学校とかに向いてない人は商売に向くって
某日本一の商人がいってたので、そこにすがってる意味もありますw)


会社に頼らなくても稼げるということが、
こんなにも自負心に+の影響があるならば、
こんなにも会社を「神聖視」しなくてもよくなるのならば、
もっと早くとりかかっていれば、
もっと早く脱ニートできる精神性になってたのかもしれない。


自分の評価を、他人に委ねすぎているとき、心が折れるのかもしれない。
でも、自分ひとりで稼げるようになると、
それを取り戻す事ができるんじゃないんだろうか。


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ニート考察35「正論なんてどうでもいい」

相手が正しくても、話は聞かなくていい。


理由は2つあります。


1つは「正しさ」が唯一無二じゃないこと。というか無数にあること。

難しいことを言うつもりはなくて。


例えば、ある人が「今のこの時代、成功するには起業がオススメ」
といったとしましょう。
50年努めれるかという以前に50年企業が持つかも怪しいし、
それを思うとサラリーマンも高リスク。
起業のリスクとそう変わらない。でもリターンは絶対的に違う、
そして起業って意外に簡単なんだ。ローコストでできる。
だから今こそチャンス……などという理由で。
で「確かにそのとおり」と言えるわけです。


しかし、ある人が「この時代、起業はオススメできない。普通に社員に」と言います。
曰く、皆成功できない。曰く、才能がいる。
曰く、それをいう人は、成功支援を仕事にしてる人で、貴方を餌にしたい人だ。
そんなに稼げるなら、人に勧める前に自分が事業を一つ増やすはず……
などなど。
そして「確かにその通り」とそれも言えるわけです。

ちなみに、上の意見は、自らも起業家であり起業支援の実績を多数持つホリエモン。
下の意見は、2ch元管理人のひろゆき氏の意見です。
両者とも、成功者であり、実績があり、そして、どちらの意見も正論ととれる。

でも、意見としては真逆。

こういう事はたくさんあって、上司にははっきり意見を言うのが正しいが、
ただハイハイいって機嫌をとるのも正しい。
真面目に誠意を持つ人が成功する、ずる賢いヤツが成功する。
この仕事を選ぶべきだった、選ぶべきでなかった。
環境が悪い、自分が悪い。
何かしろ、何もするな。
真反対なのに「どっちも正しい」なんてのがたくさんあります。

こんなのを「正しいから」と全部素直にしたがっていたらどうなるか?
スイカ割りで全員の声を信じるようなもんです。
その場でうろうろした挙句にどこにもたどり着けずに転ぶのがオチなんで。




「正反対にも正しさがある」
これが一つの理由です。


だから「俺の言う事は正論だから従え」とばかりに
きつく言う人いますけどそんなに気にしなくていいですよ。
正しさってどこにでもくっつくんです。


どこにでもつくっていう意味は、ちょっと深いです。


つまり、ダメ人間だと自覚してる人。
その人だって、自分なりの意見を持ってるわけです。
その人だって、正しさがあるんです。

自分も、それなりにニート⇔労働者を往復したのでいえますが。
ニートの時におかしいと感じた事って、やっぱ大体おかしいんですよ。
ここはここで、また語ると長くなるんですけど。


自分の意見に自信を持っていいと思います。
「相手が正論だから、反論してはいけない」なんてこともない。
「言う事を聞かなければいけない」ってこともない。
丸々受け止める必要なんてないんです。特に自分が受け止めることによって
大きく凹むようなら尚更。


正しさなんて、そう重要じゃない。前に進むエネルギーにはなりえない。


これが、正論なんてどうでもいい一つの理由。
もう一つの理由は、次回に語ります。



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ニート就活記26「上手くいく空白の説明」

ニートの人が、就職の際にもっとも説明に苦しむものはなにかといえば、
多分それは。

「空白期間の説明」

じゃないかなって思う。

ここは本当に難しいと思う。
自分は、「今までこうだったけど、これから生まれ変わりました!」っていう説明を昔はしていたんですけど、
ニートを2度も3度もやると、流石にこれは説得力がないw

のでやめました。
でもどんだけ年数が長くても、1回キリならコッチのほうがいいと思う。


で、じゃあその後はどうやって、受かった時はどんだけ上手い説明をしたのか?って事なんですけど。

例えば、今回のにうかった時とか。
勿論聞かれます。で、どういったか?ですが。


実をいうと「大して説明してません


いや……がっかりしたらすいません。ほんとに。

まあ、全く説明をしないってことはないですけど。
軽く流して終わりってことが多いですね。面接通るときは。

意図的にそうしてます。


説明を一生懸命にするのは「自分をとるとどうメリットがあるか、どうデメリットがないか」であって
空白はそんなに一生懸命にならなくてもいいんじゃないかなと思います。むしろなったら負けというか。
だから、自分は職務経歴書でも一切説明しません。
というか、職歴書(という名の自己PR書)にデメリットみたいなことは絶対書きません。
面接と違って、相手が悪い方にとったとしても、フォローできないわけですから。


面接では「自分の適性を活かし、長く努めれる職は何か?と考えながら、日雇いのバイトを適度にしてました」といった程度に語ってました。

基本的に、あっちが空白に対して思うことって「こいつやる気ねー奴なんじゃねえの?なまけもんなんじゃねえの?」とかそういうことです。俺はニートの人は、むしろ真面目な人ほどなりやすいって思ってるけど、あっちはそんな事情全く知りません。ただニート=怠け者という世間の認識に大抵沿ってます。

だから、それを払拭するために、直後に続けて「どうしても、真剣に仕事をしたくてそうなりました。だから、空白こそありますが、実際に一度働けば遅刻・欠勤は一度もありませんし、およそどんな単純作業でも、手を抜いたこともありません」というふうにつなげてました。そして、さらに、手を抜いてない証拠として、コールセンターでは処理件数1位だったとか、被クレーム率が最下位だったとかなんとかとつなげます。

空白の時期の説明の話が、いつのまにか自分の空白じゃない時期の説明にすり替わってますが、それでOKです。自分が、大体空白の説明はしてない、というのはこういう意味です。


重要なのは、やっぱりあっちも人を取るということに際し、緊張してるし、不安も持ってるということで。だからこっちも軽めに流して「空白なんて些細な問題ですよ」という態度がいいと思います。自分を取る理由をつけてあげる。そこで本人が些細な問題じゃない、と認識して一生懸命言い訳してたら、あっちは余計に不安になるんで。


それに、今時は大抵書類選考が先にありますから、それが通ったと言うことは、ある程度は空白承知の上で呼んでるわけで。「空白があっても、気にしない企業なんだ!」と信じて、自分も気にしないモードになって説明するのがいいです。


そういうわけで、空白の理由を言うときは、如何に相手の不安を減らせるか、に注力してサッサと流す言い回しを考えるのがいいと思います。





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