何故blogを書くのかって言う点で、昔は、
「ニートでもやればできるはず!」
「ダメ人間でも輝ける人間になれるはず!」
「どんなにドロップアウトしようとも、幸せになれるはず!」
ってのを証明したくて、その足取りを書いたり、
知ってる範囲で手助けになればと思って
blogはじめたけど、最近はその理由が変わりつつある。
なんでかっていうと。
沢山仕事して。評価されたりされなかったりして。
仕事を覚えたり覚えなかったりして。
仕事出来る人をみて、出来ない人をみて。
会社の中で飛び交う言葉や言動を見て。
社長や上司のありがたいお説教なんかを聞いたりして。
上の事例は、自分の中では「証明したいこと」では無くなりつつあって、
既に「確定事項」と変わりつつあるから。
だから、変わりつつある。最近は、怒りを覚える。
◆違い
世間や会社はよく「出来る人はどこにいっても出来る」し
「ダメな人はどんな環境でもダメ」なんていうけれど。
「人生に失敗してるのは本人のせい」っていうけれど。
「頑張れば何者にもなれる」なんていうけれど。
社員になって、ニートに戻って、社員となって、って繰り返して、全然そうは思えなくなった。
「出来る人はどこいっても出来る」なんて全然信じない。今の会社の、何でもストレートに言うし、内にこもるタイプの一流のWebプログラマーが、営業にきて一流になれるなんて思えない。今の会社の、お客さんと話すの大好きな、営業の売り上げトップの人が、プログラマーとして大成するタイプに全然見えない。彼らが他にもマジシャンや、大工や、スポーツ選手や漫画家などでも一流になれると思わない。
同様に「ダメな人はどこにいってもダメ」なんて全然信じない。自分がオタク属性って見抜く人は結構いるけど(笑)、でも空白6年もあるって見抜く人なんて全然いない。でも彼らはその頃の俺をみたらダメ人間だと烙印を押してたと思う。今は言わない。おかしい。自分はそんなに変わってないのに。
そして人生には、本人ではどうしようもないものって確実にある。物理的にできたから、できたはずなんてのは意味がない。倫理観、正義感、価値観を塗り替えられる場合があって、その場合はどうしようもない。そんなの、本人だけの責任じゃ絶対ない。だから、ある意味社畜説教してる側も不幸なんだけど。
俺は、人は演劇の役者のようなものだと思う。中の人自体は変わらない。でも輝き方は配置次第、光をあてる場所次第でいくらでも変わる。ダメダメいわれてる人でも、環境を変えた途端に輝き出すって絶対ある。知らなかった世界、自分を活かせる世界を知った途端に活発になるって絶対ある。勿論逆もあるけど。
人は何にでもなれない。マッチョマンの男性が、か弱い老婆役はできない。努力でどうにもならない。
◆怒り
だから不満が色々ある。自分がダメ扱いされなくても、ダメ扱いされてる人を見てるだけで不満がたまる。今の会社に営業成績悪い人がいて、でも本人は凄く真面目で一生懸命で(俺より年上の人だ)誰よりも早いし残ってるような人。
でも「頭使ってない」だの「問題意識が無い」だの「一生懸命さはわかるが、数字にでなきゃ無意味な行動」だの「単に頑張ってるアピール」だの散々いわれてる人がいる。
何故そんな態度が取れる?
本人が真面目で、一生懸命なのがわかってるなら、後は取った奴の責任か、教える奴の責任じゃないのか。言ってる人は、どうしても克服できない弱点のジャンルがあったりしないのか。自己責任って、貴方は「自分ではどうしようもないもの」にぶち当たったことはないのか。いや、そもそも貴方は彼らより成績は上かも知れない、でも人格面で本当に上なのか?仕事が出来ないのが人格で劣る証拠にいつなった?
似たような話はいくらも聞いて。
嘘を付くような人が正直者をバカにしたり。不誠実な人が誠実な人に説教したり。本当は適当な人が、真面目な人にもっと真面目にと語ったり。
ダメじゃない人をダメ扱いする社会に不満を覚える。
怒りを感じる。
自分の中では、ダメな感じの人と、いわゆる社会人という「立派に仕事して自活してる」人は、変わらないということについて既に「証明」ではなく「結論」に近づいている。
人になんか偉そうな事いうのも2パターンしか無いと思う。ダメな奴がダメな奴に言ってるか、そうでなくばダメじゃない奴がダメじゃない奴に言ってるか。自分は誰とも後者のつもりで喋ったり書いたりするけど。
そもそもがダメじゃない。
それをもっと、伝えていきたいなあと思います。
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私の会社でも、あいつは使えないだの、簡単に他人の否定ばかりする連中が非常におおいです。そういうことを絶対にしない派も半分くらいいるので半々ってところだとおもうんですが、意外なほど隠れ人格者も多くいるものだというのが実感です。
ただ、一人でも性格の悪いのがいると全体の雰囲気は悪くなるので、やはり会社の雰囲気は良くないんですけどね。
金があれば、付き合う相手も選ぶゆとりが増えるんでとにかく世の中金金とおもわざるをえません。
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出来る人はどこにいっても出来る
なんてのはマネジメントの怠慢だと思う今日この頃。
適材適所なんて言葉もありますし。むしろ環境しだいでいくらでもパフォーマンスなんて変わるんだから、その環境作りも上司の役目なのでは。
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できる人は、やはりどこに行ってもできると思う。
でも、それはドラクエ的に言えば「勇者」であって、魔力もMPも高いけど、賢者には負けて、体力もHPも高いけど、戦士には負けるジェネラリストであり、スペシャリストにはなれない。
日本の人材評価は「減点方式」だから、どうしてもジェネラリストが優遇されてしますよね。それは間違っていると思いますが。
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私もダメな人間ですが、違う場所だったらそれなりに評価されたことがあります。その時ちょっとだけ自信がもてました。
私はジェネラリストとスペシャリストの棲み分けが日本では上手く機能していないのだと思います。面接時に自己分析をし、アピールしても人事の都合で違う部署に飛ばされる可能性がある。それで自分の適正を生かせず苦労している人も居ます。
それと上司や仲間に恵まれるという運もあります。仕事は友達を作る場所ではないといいますが、友達じゃなくてもある程度信頼関係のない場所ではモチベーションが上がらず、自分の意見を言い出しにくいのでいいアイデアが潰される事もあり得ます。
http://techon.nikkeiap.co.jp/article/COLUMN/20090115/164093/?p=5
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すみませんリンク間違えました。
正しくは
http://techon.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20090115/164093/?P=5
です。お目汚し失礼しました。m(_ _)m
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ほざけ
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地雷屋さま
こんばんは、先日は相談に乗っていただいたtakaです。
ありがとうございます。
やめてからはしばらく悪夢を見たり、精神的にふさぎこみましたが、おかげさまで少しずつ立ち直りつつあります。
今年まで教員採用試験を受けることに決め、
最初からやり直すつもりで挑みます。
面接について書かれていた記事があったので、
基本的なことを質問してよいでしょうか。
面接で聞かれることの中に
自己PRと長所と短所、私であれば教員に向いていると思うことがあります。
これがどうも一緒になってしまうのですが、
どのように使い分けをしていましたか?
教えてください、お願いします。